2016年1月28日木曜日

文部科学省の残虐な犯罪

龍谷大学を受験しましょう」( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post_24.html )に書き加えていたが、ちょっと長くなりすぎて前後のつながりが悪くなったため、独立させた。背景色の箇所は、さらに手を加えた部分。

 甲子園でも有名な天理高校は、あのイカサマ師のおっさんの河合隼雄が京都大学教授になる前に勤めていた高校ではないかと、最初に考えていました(「河合隼雄の犯罪」 http://moriyamag.blogspot.my/2013/09/blog-post.html 、「河合隼雄、心のノートで模擬授業を行なう」 http://moriyamag.blogspot.my/2013/09/blog-post_2.html )。どうやら、これは間違いのようです。正しくは仙台育英高校、じゃあなかった、奈良育英高校のようです。河合隼雄はね、奈良育英高校でも、その次に就職した天理大学でも“ウソツキ退職”をしているのです。こういうのを“常習犯”といいます。習い性になる、というやつですね。常習犯というものは、更生の可能性はほとんどありません。本当に不道徳で反社会的で非人間的な人格なのです。これは治しようがないのです。こうして河合隼雄は、非人間的で反社会的な恐ろしいユング心理学を日本に移入して、日本の人々に塗炭の苦しみを嘗めさせ、日本の人々を地獄に落としめているのです。実際に、日本臨床心理学会というところで河合隼雄は、子どもに対する心理検査について、その非人間的な取り扱いを批判されました。普通のまともな正常な人ならば、ああ、これは自分が悪かった、子どもさんたちに対して何という無礼な残虐な非道なことをしてしまったのか、と自らを深く反省するものです。そして、このようなことは決して二度と繰り返さないと、みんなの前で誓うものです。ところが、河合隼雄は正常でもまともでも当たり前の人間でもなかったのです。批判に対して、カンカンになって怒りました。そうして日本臨床心理学会を手下を引き連れて脱会して(この手下もユング派です)、新しく心理臨床学会という奇妙な名称の学会を立ち上げました。“心理臨床”という言葉は、日本語としてはめちゃくちゃです。どうです、恐ろしいやつではありませんか。非人間的の極みと申せましょう。人間の心をなくしているのですね。これが、ユング心理学という、とてつもない妄想を基本にした恐ろしい心理学に拠って立つ、いかれた狂った者たち(ユンギアン)の特徴的な性格なのです。ここで、さらに驚くことがあります。この非人間的で不道徳で恐ろしい河合隼雄を、日本の教育行政を預かる文部科学省が破格の待遇でもって優遇し重用していました。そして、こともあろうに、日本の小中学生全員に配布される道徳の副教材「心のノート」を河合隼雄に作成させていたのです。不道徳な人物に道徳の副教材を作らせる、非人間的で精神的に異常で恐ろしい人物に「心のノート」と題した教材を作成させる。これは誰が見ても、おかしいと感じるでしょう。そこで文部科学省に、このようなめちゃくちゃなことはするなと申し入れたのですが、文部科学省は、うるさい、文句あるのか、ごちゃごちゃぬかすな、という態度なのです。みなさん、この文部科学省の態度を、どう考えますか。文部科学省も河合隼雄と同様に、非人間的で反社会的で恐ろしい役所なのではないか、という気がしてきませんか。日本の未来を語るはずの教育行政を担っている文部科学省が、非人間的で反社会的で不道徳で恐ろしい役所である。背筋が寒くなってきませんか。世界中の人々に嘲笑されているでしょう。このブログはね、姉妹サイトや前身のサイトとともに、世界中のたくさんの国の人々に閲覧していただいています。文部科学省は、私こと森山梧郎を30年ぐらいの間、虐待してきました。虚偽の悪口を、あちらこちらにばら撒いたのです。その発端は、私の行為の意味を取り違えた重大な誤解です。その誹謗中傷は、私の家族や親戚、友人にまで及びました。さらに、職場にまでも及んだのです。そのほかにも、内閣(つまり日本政府)をはじめ様々なところに私の誹謗中傷がなされているようです。実際に去年、私としては多額の定額預金を以前していた“ゆうちょ銀行”に殺されかかりました。こうして私は、家族や親戚や友人から完全に馬鹿にされ軽蔑され、ほとんど人間扱いしてもらえないという状態で、もう家族でも親戚でも友人でもなくなって、ひとりぼっちにされてしまいました。職場でも、やはり馬鹿にされていじめのような嫌がらせを受けたり、脅迫のような威嚇をされたりして退職せざるをえなくなってしまいました。その後、どんな仕事であっても、たとえ就職するのが容易な仕事で誰でも就職できそうな仕事であっても、奇妙な邪魔が入って就職することができなくなりました。誹謗中傷をあちらこちらに撒き散らすだけではなく、文部科学省は、まるでストーカーのように30年にも亘って付き纏っているのです。この恐ろしい激しい情念、執念深さは、いったい何なのでしょうか。そのために、私の人生はなくなってしまったも同然です。冤罪事件によって30年も刑務所にいたのと同じです。刑務所にいたのと同じであっても、懲役に服していたのではなく、縛り上げられて集団リンチのようなすさまじい暴行を受け、脅迫されていたのです。これは殺人以上の極悪非道な犯罪ではないでしょうか。その上、文部科学省は、恐ろしいユング派を虐待仲間に引き入れました。その、おそらく最初の舞台になったのが龍谷大学でした。
 先程、僕に対する文部科学省の虐待のきっかけは、僕の行為の意味について文部科学省がその意味を取り違えて、ものすごく悪い意味に解したためだと申し上げました。実は、この出来事だけが原因ではありません。もうひとつ、あるのです。「遠山敦子の犯罪」( http://gorom8.blogspot.jp/2015/09/blog-post_4.html )で次のように書きました。

20歳代のときに、ある女性から陰湿ないじめを受けて、すっかり参ってしまった。その女性は、7~8歳ほど年上であり結婚して子どももいる。僕はこの女性からの理不尽ないじめに心を傷つけられて、仕事にまで影響するほどだった。ところがある日、見かねたある男性が、僕もその女性も含めて何人かいる中で次のように言った。「Aさん(僕をいじめていた女性のこと)はBさん(僕のこと)のことを、とても気にしているよ」。え?「気にしている」とは、どういうこと?、と思ってその女性のほうを見やると、恥ずかしそうに俯いてもじもじしている。これで、すべてを了解することができた。その女性が僕をいじめていたのは、僕を嫌っていたからではなかったのである。この出来事は、僕に大きなダメージを与えた。いじめられて仕事にまでも影響していたこともさることながら、もっと重大な損害が待っていたのである。「気にしている」発言のその場に臨席していたのは、ほとんどが男性であった。「気にしている」発言から幾許かの日数を経過すると、今度は「気にしている」発言に同席して聞いていた男性達が、いじめどころではない、すさまじいばかりの僕に対する迫害をしだしたのである。それはもう、集団リンチといってもよいほどのものだった。この陵虐を突き動かしていたのは、嫉妬に似た感情から変化した憎悪であろう。このとき以来、僕は今に至るまで死線をさまよわなければならなくなったのである。(以上、引用)

 この女性のいじめ方は、全員に配るべきお菓子を、わざと僕にだけくれない、というような実に幼稚で知能の足りないことを、うかがわせるものでした。文部科学省が僕の行為の意味を取り違えた誤解に加えて、この出来事が文部科学省の僕に対する虐待に拍車をかけました。そこで以前に、文部科学省に僕の行為の意味についての取り違えを指摘して、善処するように申し入れたのですが、文部科学省による虐待は収まる気配がないのです。監視や虐待が始まってから長い間、僕は何故このような目に遭わなければならないのか、見当がつきませんでした。ようやく、文部科学省による虐待の原因に思い当たり、そのことを文部科学省に申し入れたにもかかわらず、虐待が終息しない。終息するどころか、なおひどくなっているようなのです。文部科学省によって日本から追い出された。長い年月の虐待によって、何もかも失い、ひとりぼっちになり、すっかり参ってしまい、健康も害したのに、それでも、まだ気がすまないというのでしょうか。これは残酷で恐ろしすぎると思いませんか。本気で僕を殺すつもりなのか、と考えてしまいます。

龍谷大学が頑強に犯罪者を庇うのは、背後にユング派を優遇し重用している文部科学省がいるからではないかと考えられる。文部科学省が龍谷大学を、森山に対する詐欺犯罪を認め謝罪したら、どうなるかわかっているのだろうな。と威し脅迫しているか、教育行政を預かる役所として龍谷大学に指示しているか、どちらかなのだろう。恐ろしい役所である。自らも僕に対して30年間も犯罪・違法行為をまじえた虐待をし続けて僕を死んだも同然にし、自分が監督している大学に対して、学生や卒業生に、犯罪を煽れと指示し命令しているのである。

2016年1月24日日曜日

龍谷大学を受験しましょう

 大学受験生の皆さん。ぜひ龍谷大学を受験しましょう。龍谷大学は、完全に自由な校風の大学です。自由放任主義を誇りにしている大学です。また、高校を受験する皆さんは、ぜひ龍谷大学の附属である平安高等学校を受験しましょう。甲子園で有名ですね。春夏連続全国制覇など輝かしい伝統があります。中京、PL学園や天理高校みたいなものですね。因みに天理高校は、あのイカサマ師のおっさんの河合隼雄が京都大学教授になる前に勤めていた高校ではないかと、最初に考えていました(「河合隼雄の犯罪」 http://moriyamag.blogspot.my/2013/09/blog-post.html 、「河合隼雄、心のノートで模擬授業を行なう」 http://moriyamag.blogspot.my/2013/09/blog-post_2.html )。どうやら、これは間違いのようです。正しくは仙台育英高校、じゃあなかった、奈良育英高校のようです。それでですね、この輝かしい伝統のある平安高等学校の校名を龍谷大学当局は“安寧高等学校”に変更したいと考えているようです。皆さんは、どう思いますか。“安寧”というのはね、ユング心理学という新宗教団体で修行すると最終的に到達する悟りの境地だと言われています。受験生の皆さん、これはちょっと変だと思いませんか。そもそも龍谷大学やその附属の平安高校は、親鸞聖人の教えをもとにして設立されているのです。仏教の教えによって修行していけば、平安の境地に至るのです。ところが、龍谷大学当局や西本願寺では、平安ではなまっちょろい、平安なんか役に立たない、平安なんか獲得しても何にもならない、と考えているようです。そうして、もっと強力なものを、と探し求めてたどり着いたのが、“安寧”でした。そういうわけで、安寧高等学校に名称変更するというのですが、皆さん、これはおかしいとお思いになるでしょう。各界からも、そんなにオカマを大量生産してどうするのかという疑問の声が上がると考えるのですがいかがでしょうか。ユング心理学とは、愛の不能者、つまり同性愛者を作り上げる心理学なのです。皆さんはご存知でしたか。龍谷大学には、立派な素晴らしい教授がいらっしゃいます。文学部の小島勝教授です。小島勝教授は、龍谷大学構内で詐欺をなさいました。龍谷大学の学長さんたちは、小島勝教授のこの快挙に対して、涙を流して感動して称賛していらっしゃいます。ある理事の方は、小島勝教授の栄誉を称えて、小島教授の退職金を倍額にしたいと理事会で提案なさいました。提案に賛成する理事多数のため、可決される模様です。善行には、しっかりと報いきちんとそれに見合った以上の褒賞を与える、というのが龍谷大学のモットーです。すばらしい大学ではございませんか。受験生の皆さん、迷っていないで速やかに第一志望は龍谷大学と決めましょう。龍谷大学のホームページ( http://www.ryukoku.ac.jp/ )を御覧になりましたか。龍谷大学のキャッチフレーズは、“You, Unlimited”というのです。それでは、この英文を翻訳してみましょう。「嘘をつくたあ惚れたってことよ」と、まあこうなります。なるほど旨い訳だ、と誰しもお思いになるでしょう(「アニマは女性像ではない」  http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post.html )。いやあ、ほんとに気品のある素敵なキャッチフレーズですね。
 以下のメールは、小島勝教授にあてたファンレターです。

龍谷大学文学部小島勝殿

 何度結婚をしても愛を知る由もないわけだな。どうして結婚なんかしたのか。情けない。お前は結婚する資格のないやつではないか。
 お前がオカマでないなら、自分がした犯罪行為について、きちんと償いができるはずだろう。頼みもしないのに、お前のほうから勝手にヘラヘラ笑いながら近づいてきて、詐欺犯罪をなし、抗議すると今度は一転して完全無視して返事さえしない。お前が強制したユングを拒否すれば、今度は一転して拗ねてしまう。何だ、このオカマの振る舞いは。オカマに見込まれて付き纏われて、気持ちが悪くてしかたがないではないか。オカマの付き纏いのしかたは、気味の悪いものだな。お前なんかとは、お近づきになんかなりたくなかったのだ。早く消えてくれ。 
 お前の犯罪仲間の酒井汀はな、いきなり“達磨さんのにらめっこ”をするように、顔をくちゃくちゃにして顰めてみせた。精神病者の気味悪さではあるが、オカマの気持ち悪さでもある。まだユングなんかに心酔しているのか。大馬鹿者。
 早く金を返せ、泥棒。お前が勤めている龍谷大学を、学生や卒業生に犯罪を奨励し扇動しているすさまじい大学にしてしまったではないか。
 “You, Unlimited” 君は制限されてはいない。やりたいことは、何でもできるのだ。好き放題にやりたまえ。それが仏の本願じゃ。勉強したくなければ、そんなもん、せんでええ。“授業”サボってパチンコしたけりゃ、大いにやりゃええ。犯罪?結構結構。大いにやりなはれ。人を騙して金を奪いたい?結構結構。やりなはれ、やりなはれ。龍谷大学は、君の心意気に感じて、いくらでも応援しまっせ。本学の文学部にはな、小島勝という偉い教授がいてはりましてな。立派に詐欺やらはりましたんやで。わてら小島はんのファンになりましてん。小島はん、応援してまっせ。本学では、誰も制限されてはおらん。やりたいことは何でもしてもよろしい。

                                         ーーーーーー

 このオカマどもを、早く何とかしてくれ。気持ちが悪くてしかたがない。

別に龍谷大学の業務妨害をしているわけではない。犯罪被害をいくら訴えても完全に無視し、学生や卒業生に対して犯罪行為を奨励し扇動している大学なんか受験するなと注意を促すのは当然ではないか。こんなすさまじい大学は、潰してしまうべきである。

2016年1月22日金曜日

萎んでいく生命力

 人の創造の泉を覗き込んで盗み見して、そうして得た知見を別の人物に適用し吹き込んで新たに芸術家を作り上げようとしても、新しい“芸術家”は本物には絶対になることができない。たとえて言えば、野生植物ではなくなって栽培植物になるようなものである。生命力が萎縮して減退してしまう。また最初に覗き見され盗み見された人物の創造の泉は、生体解剖にされたようなものであるから、その泉は涸渇してしまう。創造の泉も生き物なのである。ただただ、建設的で前向きなところの全くない、破壊的なだけの残虐行為である。悪魔の仕業である。
 どうか一刻も早く、この狂った恐ろしい連中を社会から追放してもらいたい。

2016年1月21日木曜日

いたずらに長びかせないでもらいたい

 文部科学省は、あちらこちらに虚偽の悪口を言いふらし、僕の人生そのものを破壊しようとする。家族や親戚や友人も、みな敵対者になってまるで犯罪人を扱うかのように断罪して苦しめる。他人は僕を村八分のように扱い、中には、ゆうちょ銀行のように首を絞めて殺そうとするものまでいる。文部科学省は、恐ろしい狂ったユング派を、虐待の仲間に引き入れて、虐待の様相はすさまじいものになった。やつらは、人の精神を押しつぶそうとしているのである。“精神の拡張”(教祖のC・G・ユングの言葉)を御旗に掲げているようだが、“精神の拡張”などありえないことであるし、また、あってはならないことである。“心の成長”や“精神的な成熟”とは話の次元が違う。それは、人間が人間ではなくなることだ(「こころの未来」という言葉の恐ろしさ http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post_9.html )。悪魔になることかもしれない。
 自然の美しさが心にしみて感じられなくなった。音楽をちゃんと聴くことができなくなった。本も読めなくなっているだろう。創造の泉は、もう“湧き出たせてはいけない”ようなことになっているかもしれない。生きている意味がない。ぼんやりとしているだけである。あとは死を待つだけだ。そのうちにまた、いつものように、この恐ろしいやつらが断崖絶壁に追い詰めることだろう。
 どうか、この恐ろしい残虐行為を長びかせないでもらいたい。一刻も早く、この狂ったユング派を社会から隔離してもらいたい。

2016年1月20日水曜日

アニマは女性像ではないPARTⅥ

アニマは女性像ではない」( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post.html )

アニマは女性像ではないPARTⅥ

 ときどき、外国をひとり旅している女性にお会いするが、どうかひとりで外国を旅行するのは控えていただきたい。女性のふたり旅でも心配だ。男でさえ、注意を怠らなくても何が起こるか分からないのである。僕は一昨年、ある国で長距離夜行バスに乗っていた。そのバスが人身事故を起こして運行中止になった。こうして、僕が細心の注意を払っているか否かにかかわりなく、自分の責任とは関係のない事由によって、外国の見知らぬ町に真夜中にひとり放り出された。このときの恐ろしさは、たとえようがない。知らない町をしばらくさまよい、ちょっと裏通りに入ると、十匹ほどの野犬がうなり声を上げて近寄ってきたときには、それこそ肝を冷やした。急いで表通りに出る。それから立て続けに起きる首絞め強盗などの災難。首絞め強盗とは、たいていふたり組みで、ひとりが後ろから首を絞め、もうひとりがその間にポケットをさぐって財布を抜き取るのである。財布のほうは、貧乏人だから大して入ってはいなかったが、この時メガネを壊された。これが不便だった。何度か、道を歩いていて、つまづいて転んだ。いちばん危なかったのは、階段を下りていたときに、階段を踏み外したときである。このときは、頭を打つのではないかと思った。いっそあのときに、頭を打って死んでしまえばよかったかな。こんなことを考えるほど、生きているのがつまらなくなってしまった。そしてそれでも、日本にいるよりは、ましなのである。
 去年、日本に一時帰国していたときには、ゆうちょ銀行に殺されそうになった(「アニマは女性像ではないPARTⅤ」( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/part_18.html )。僕は、文部科学省と途中から文部科学省と手を組んだユング派によって長年虐待を受け続けている。文部科学省による虐待は、もうかれこれ30年ほどになる。途中から虐待仲間に加わってきたユング派による虐待は、20年ばかりになる。ゆうちょ銀行が僕を殺そうとした理由について、いくつか考えられるが、最も真相に近いと思われるのは文部科学省が僕を誹謗中傷しているからではないだろうか。文部科学省による虐待のきっかけになったのは、僕に対するある重大な誤解である。僕は、ずっと、なぜ文部科学省に虐待されているのか、その理由が分からなかったのである。文部科学省による虐待の初期の頃には既に、監視かストーカーのようなことが行なわれていた。それが、ユング派が虐待仲間に加わると、よりすさまじいものになった。文部科学省はユング派に、僕の虚偽の悪口を吹き込んだものと考えられる。さらに文部科学省は、僕への誹謗中傷を様々な方面で行っているのではないだろうか。ゆうちょ銀行が僕を殺しそうになったのも、文部科学省が僕の誹謗中傷をしたからではないか。郵便局を民営化した小泉純一郎や、小泉純一郎の婢女のような遠山敦子の流れをくむ文部科学省のいいなりになるとは、“郵貯銀行”も浅はかなものである。また、上部機関になる内閣(日本政府)にも誹謗中傷をしているかもしれないのである。警察が僕の味方になってくれないのも、そのような理由があるからではないだろうか。このように、警察に助けを求めても無視されて相手にしてくれない、以前に僕にとっては大金を預けていたゆうちょ銀行には殺されそうになる、ということで、これではもう日本には恐くて帰ることができないのである。いつ、ゆうちょ銀行のようなやつに殺されるかわからないのである。
 文部科学省による誹謗中傷は、僕の家にまでも及んでいた。信じがたいことだが、本当である。どこまで卑劣なやつらだろう。そのために僕は、文部科学省の虚偽の悪口を信じこんだ両親や弟から完全に馬鹿にされ、親子の情愛もすっかり失くなってしまった。そのために、肉親の家族からさえも、突っ慳貪なすさまじい待遇を受けなければならなくなった。さらに誹謗中傷は、僕の家の親戚中にまでも及ぶ。親戚にまで及んだのは、僕の家の本家が商売をしているので、顧客として来ていた文部科学省の関係者が悪口を吹きこんだとも考えられないこともないが、僕の両親が広めた可能性のほうが高いかもしれない。僕は身内からも完全に切って捨てられたようである。だから親父の葬式にさえ、喪主になるべきでありながら恐くて出席することができなかった。親類中から吊るし上げを食い、まるで集団リンチのような扱いを受けることが目に見えていたからである。葬式に出席しなかったことが、僕への侮蔑の情にさらに拍車をかけたことは言うまでもない。また友人も、ひとりもいなくなった。僕への誹謗中傷は、職場にまでも及ぶ。そのために職場で、陰湿な嫌がらせや威しを受けるようになった。こうなると、誰でもまともに仕事をすることができなくなるだろう。当然の結果として、退職せざるをえなくなった。その後、新しい職に就こうとしても就職することができない。様々な職に当たってみた。中には、そんなに専門的な知識や技能も必要としない簡単な仕事で、社会的にはあまり高く評価されていなくて就職しやすい仕事にさえも、奇妙な邪魔が入って就くことができないのである。おそらく、悉くユング派か文部科学省の妨害があったのだと思う。何故、このような邪魔をするのだろうか。
 いちばんなりたかったのは、心理カウンセラーである。以上に述べたように、すさまじい虐待を受けている。精神的に、かなり参っていた。立ち直らなければならないと考えて、心理学書に読みふけっていた。そうしているうちに、カウンセラーになろうと思い始めたのである。大学や研究機関は文部科学省が監督しているから、とても就職できそうにない。だから、個人開業しようと考えていた。僕が拠って立つ技法は、RET(Rational Emotional Therapy 日本語訳は「論理療法」)(「金鉱は見つからない」の後記 http://gorom8.blogspot.jp/2015/02/blog-post_15.html )である。龍谷大学を受験する前の年に、他の大学の大学院の心理学専攻を受けていた。龍谷大学よりも学力レベルの高い大学である。僕には、ろくな推薦者がいなかったが、面接官の教授から「この道(カウンセラーへの道)をお進みください」と言われた。僕は、てっきり合格させてもらえるものと期待していた。ところが、結果は不合格だったのである。なんだか、狐につままれたような気がした。実はこのようなこと、普通に歩いていても、突然、前方の道がなくなって消えてしまうとか、当然手に入りそうなものが誰かに横取りされてしまうとか、思いもしない別にほしくもなんともないものが、ころがりこんでくる、というようなことが僕の人生で頻発しているのである。この大学の不合格には、すっかり参ってしまっていた。
 翌年に龍谷大学の大学院を受験して合格した。龍谷大学文学部(日本語日本文学専攻)の大取一馬教授から「(カウンセラーになりたいのなら)うち(の大学)に来ればよい」と言われて受験したのである。大取教授に小島勝教授を紹介されたような格好になった。このふたりは、非常に仲が良いようである。こうして、今までに何度も書いてきた詐欺事件が起きた。実行犯は大取教授と小島教授、正犯は小島教授と面談中(このときユング心理学を学ぶことを強制された)に名前が挙がっていた河合隼雄と氏原寛だろう。小島教授の夫人も、河合隼雄の弟子だと面談中に聞いたから、正犯のひとりである可能性が高い。非常勤講師として龍谷大学に出講していた大谷大学の酒井汀教授も、幼稚なやり方ではあるけれども龍谷大学構内で僕に脅迫したので、正犯のひとりであると思う。このとき、罠にかかったような焦燥感を覚えた。耳をつかまれて、引っ張られて、無理やり龍谷大学に拉致されてきたような不快感を感じたのである。前年の他の大学の不合格は、この龍谷大学における詐欺(ユング心理学の強制)の布石・下工作なのではないだろうか。しかし、前年に大学院を受験して不合格になった他の大学の面接官の教授は、ユング派ではない。これは、どういうことなのだろうか。さっぱり分からない。僕に対する付き纏い、虐待はユング派だけではなく、もっと広がりのあるものだろうか。それとも、面接官だった教授もユング派に付き纏われて妙な示唆やほのめかしを受けたり、この教授に対して何らかの教唆が行なわれているのだろうか。この教授も被害者なのだろうか。
 以上のように、文部科学省に各方面で誹謗中傷された上に、すさまじい虐待を受けているのだから、僕の人生がなくなったも同然である。これは殺人よりも重い罪ではないだろうか。文部科学省の仕打ちは常軌を逸しており、あまりにもひどすぎる。文部科学省の誹謗中傷によって、僕は日本には恐くていることができなくなり、生きていくことができなくなった。文部科学省が不当にも優遇し重用しているユング派は、精神異常者の集団である(「悪魔を元いたところに戻せ」 http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post_2.html )。アニマという“女性みたいなもの”を、一般的普遍的集合的な領域には存在しえない女性像とし、これと対話したり、恋愛の対象としたりもする。これは心理学的に危うい。心理学的に危ういとは、気が狂っているということである。あの気味の悪い酒井汀の“達磨さんのにらめっこ”を見たとき、そう感じた。これは何も酒井汀だけに限ったことではない。河合隼雄も氏原寛も小島勝も小島勝の夫人も、やはり酒井汀と同じように“達磨さんのにらめっこ”をするだろう。
 上述したように、日本には恐くて帰れそうもない。外国にいても、これはいわば逃亡生活だから楽しいわけがない。歌手や作曲家になりたかったのだが、長年の虐待によって生命力が萎んでしまったのだから、もう歌手にはなれそうもない。よぼよぼのじいさんが歌っても、誰が聴いてくれるだろうか。しかも、仮に歌手になったとしても、歌手としての実際の人気の度合い、どれだけの人が好んで聴いてくれているのかという数値を彼らは好き勝手に操作することができるのである。馬鹿馬鹿しくて歌手なんか、やってられない。作曲家になることについては、僕の才能(自分でいうのも少し変だが)を眠りにつかせた(「幻想の黒いオルフェ」 http://moriyamag.blogspot.my/2013/11/blog-post_2028.html )。やつらは、どうも創造の泉に関心があるようなのである。だから、人の創造の泉を覗き見し、盗み見しようとしている。そして、泉をいじってやろうとさえしている。これは、生体解剖と同じである。創造の泉は涸れてしまう。いじられた時点で既に、創造の泉は本来の働きを失っている。本来の創造の泉ではなくなってしまっているのだから、これを別人の創造の泉に適用して、その別人の創造の泉を活性化しようとしても、かえってその泉を駄目にするだけである。僕の創造の泉は、もう回復困難になっているかもしれない。
 何をしても、つまらない。海を見ても、夕焼けの空を見ても、美しさが感じられなくなった。音楽を聴いても、つまらなくなった。大好きなフォーレの曲も、長い間、聴く気になれなくなった。そして、することがなくなった。ただ一日を、ぼんやりと過ごすだけである。そして、いつ恐ろしいやつらが殺しにかかってくるかとおびえているだけである。これでは生きている意味がない。なぜ、ぐずぐずして罪悪を長びかせているのか。人の死の苦しみを長びかせて喜んでいるのか。早く狂ったユング派を、社会から隔離してほしい。

アニマは女性像ではないPARTⅤ」( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/part_18.html )に書き加えがあります。背景色の箇所。

2016年1月18日月曜日

アニマは女性像ではないPARTⅤ

アニマは女性像ではない」( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post.html )


アニマは女性像ではないPARTⅤ

 真理は謙虚で控えめなものである。なぜなら真理は、ほったらかしにしておいても、やがていつかは人々の間に広まっていくものだからである。それを、わざわざ自然の流れに掉さして、“真理”を力づくででも人々に無理強いして吹き込んでやろうとするとき、それが果たして本物の真理なのかという疑念が生じてくる。夙にS・フロイトは、チューリッヒ学派は人の人生を我が物のようにしている、と嘆いていた(『精神分析入門』か『続精神分析入門』だったと思う。「チューリッヒ学派」とは、ユング派のことだろう)。ユングを批判していた“Richard Noll”に対して、まるでストーカーのように“Richard Noll”の活動を妨害していた(“Richard Noll”の二作目のユング批判の著書の後書き。僕は、“Richard Noll”から大きな影響を受けた。因みに、この書物を日本語に翻訳したのは、ユンギアンなのである。ユンギアンとは、実に気持ちの悪いやつらである)。もしもそれが本物の真理ならば、少しぐらい批判されたところで、びくともしないだろう。狂信的に盲信的に、はたまた批判に過度に傷つきやすくなるというところに、その“真理”なるものの胡散臭さやいかがわしさを感じてしまうのである。“Richard Noll”は、その二作目のユング批判の著書を公にして以降、ぱったりとユングを批判する書物を書かなくなった。これはユング派が、“Richard Noll”の著書の出版を妨害していたからではないかと考える。“Richard Noll”のあとに続く著者が現れてこないのも同じ理由によるものだろう。世紀がかわった前後の頃から、ユング派の付き纏いの様相が高度で洗練されたものになった。僕が龍谷大学で被害に遭った詐欺犯罪のような幼稚で原始的なやり方は、もう使われなくなった。そのため、龍谷大学の詐欺犯罪より後では、僕は僕が被っている犯罪行為の証拠をあげることができなくなったのである。これを可能にしたのが、ITなどの科学技術の飛躍的な発展であることはいうまでもない。
 (「アニマは女性像ではないPARTⅣ」 http://gorom2.blogspot.my/2016/01/part_13.html )で述べたようなやり方を重ねていって、やつらは人と人との関係さえやつらの思いどおりにしようとする。恋愛関係にあるA君とB子さんの仲を引き裂き、B子さんがC君を好きになるように仕向けたりもする。特に芸術などの文化領域で顕著である。対象関係などを操作することが、創作活動により高い創造性をもたらしてくれると信じているからだろう。しかし、このようなやり方が間違っていることは、いまさら言うまでもないことだろう。創造の泉について、芸術や文学には無縁の人種であり、なんの芸術的天分も素養もセンスもないくせに妄想体系にとり憑かれて、ある日突然、自分を芸術家だと思い込んでしまったユング派に何が分かるか。だいたいにおいて創造の泉というものは、人にいじられたら、もうおしまいである。もう二度と清水の湧出しない涸渇した泉になってしまう。そして、偽物の環境の中で生活しなければならなくなる。偽物の環境の中で生きることは、環境の剥奪と同義である。そんな中で産出された作品は、本物にはなりえない。
 アニマは、厳密な意味では女性像ではない。一般的普遍的集合的な領域には愛の対象となりうる女性像は存在しない、あるはずがないのである。そうすると、元型としてのアニマという概念は破綻したのであるから、ユング心理学の思想体系は根底から崩れ去ることになる。元型のひとつが破綻し消滅すれば、ユング心理学に生き残りの余地はない。その“個性化”の最終段階で獲得される“安寧”なるものの境地は偽物であったのであり、強いて言えば、やはり悪魔の安寧であり狂人の安寧だったのである。もう人間でなくなっている。化け物になっているのである。
 ユング派の河合一派は、ほとんどが見合で結婚したのだろう。結婚は本来は、見合でも恋愛でもどちらでもよいはずである。ところが河合一派が、恋愛では心の安定が図れない、などと訳の分からないことを主張しだしたものだから、おかしくなってきた。実際には、ある形の見合結婚が最も危険なのである。河合隼雄をはじめ、河合の弟子達のほとんどが、そのような形で結婚したのだろう。
 自分は恋愛をしたかった、しかし、その機会がなかった。または、ユング派のお偉い先生方が、恋愛結婚では精神が不安定になる、見合でないと駄目だ、とおっしゃっている。それで、しかたなしに「見合結婚をしてしまった」(河合隼雄の言葉。幻の「去り行くアニマ」 http://gorom8.blogspot.my/2015/02/blog-post_10.html )。いわば諦観とともに結婚する。これが最も危険である。何年か経過して、結婚生活も安定してきたかに見えて、子どもも大きくなったときに、何かのはずみで結婚前の恋愛願望が甦ってくるのである。そのとき、行動に変化が見られる。自我による統制が減退してしまうのである。この自我の働きの低下という現象は、人によって様々な様相があろうが、非常に深刻な場合は、子どもをはじめ家族との関係をめちゃくちゃにしてしまうほどのすさまじさがある。家族との縁が切れてしまったケースさえある。ユング派の河合一派も、ずいぶんと罪作りなことをしているものだ。
 自分は別に恋愛したいとは思わない、ということで見合結婚したのなら、何の問題もないわけである。恋愛願望を無理に力で押さえつけて断念し諦めて見合で結婚したなら、後々に禍根を残すことになる。それがユング派の河合一派なのである。彼らは自身の不充足感や不満を癒やそうとして、他人の恋愛を妨害しようとするのである。人が恋をしようがしまいが、自分には関係ないことだ。このように考えるのが正常でまともである。ところが彼らは、正常でもまともでもないのである。精神異常者なのである。恋愛している人や恋愛結婚した人を見ると、言いようのない不快感や嫌悪感が湧き上がってくる。この不快感や嫌悪感のもとになっているものが羨望であることは、言わずと知れたことである。こうしてA君とB子さんの仲を引き裂き、A君とB子さんのふたりに、それぞれ別の相手を割り当てようとする。このようにすることによって、自分自身の恋愛願望を実現することができなかったことから生じる不満を解消しようとする。実に卑しい人格の持ち主ではないか。
 そこで、日本のユング派の軽佻浮薄かつ表面的な見合結婚礼賛と元型としてのアニマとの関係を考えてみる。彼らは見合で結婚した配偶者に、無理やりアニマの像を重ね合わせようとしているのではないだろうか。つまり、現在の配偶者をアニマに仕立て上げようとしているのではないか。こうすることによって、俺の結婚は実のところは見合ではなかった、聖なる意味において真正なる恋愛結婚であったのだ、と自分に言い聞かせようとしているのではないだろうか。何度も繰り返すが、一般的普遍的集合的な領域の住人であるアニマなるものを、現実の女性に投影することは、心理学的に危険である。
 アニマなどというものがあればの話だが、一般的普遍的集合的な領域に“女性像”の存在を認めることは、心理学的に極めて危険であることは言うを俟たない。その“個性化”とやらの初期段階では元型としての影を自我が同化し、中間的な段階では心理学的に危険な女性像と関わりをもつ。ユング心理学とは、変質者を産出する心理学である。だいたいにおいて、来る日も来る日も薄暗い部屋にひとり籠って何やら訳の分からないことを、ぶつぶつ呟いている(教祖のC・G・ユングの個性化)。こんなことで、精神が健全になり健康になると考えたら大間違いである。酒井汀の“達磨さんのにらめっこ”を見たときには、いいしれない気味悪さを感じた。精神病者を見たときの気味の悪さである。長い長い年月、僕はこの変質者たちに付き纏われてきた。この変質者は、どんなことでもする狂気のカルトである。このような狂気の変質者に、最先端の科学技術を手渡すな。直ちに科学技術を狂人どもから回収し、この狂った変質者たちを社会から隔離せよ。一刻も猶予はならぬ。いつまでこの気違いどもを暴れ回らせているつもりだ。
 去年、日本に一時帰国していたときに、ゆうちょ銀行に殺されかかった。ゆうちょ銀行は、文部科学省と手を組んだか、威されたのか、指示を受けたのか、文部科学省が僕の誹謗中傷をしてきたのかは分からないが、とにかく僕の首を絞めるようなことをした。僕は以前、勤めていた頃に、ほぼ全財産を定額預金にして預けていた。全部で多いときには一千万円近くになっていた。僕にとっては大金だが、ゆうちょ銀行にとっては、はした金なのだろう。そんなわずかな金しか預けていない者は、顧客とは看做していないとでもいうのか。恐ろしい銀行である。さらに警察も、僕の命が危ないときに助けを求めても無視したのである。もう日本には恐くて帰ることができない。
 僕はもう、もちこたえられないかもしれない。そろそろ、またいつものように断崖絶壁に追い詰められそうである。これまでに何度も何度も、これでもかこれでもかというふうにして、執拗に行なわれてきたことである。すっかり参ってしまって生命力、生きていく力がおおかた失われてしまった。その上、去年、日本を出国する際には、妨害されて一か月間ほど足止めを食ったので、その時また恐怖のどん底に叩き落された。以上のようなことが繰り返し起こっているので、もう健康もなくしたかもしれない。もう耐えられない。この次に追い詰められたら、生きてはおれないかもしれない。
 俺は死ななければならないのか。文部科学省に根拠のない出鱈目の誹謗中傷された上に、嬲り殺しにされなければならないのか。俺が死ななければ、この狂ったユング派をどうにかすることができないのか。何をやっているのか。ユング派を社会に置いておいてはいけない。こいつらは、人間の社会で生きていくのにふさわしくないやつらではないか。ユング心理学に傾倒し支持して、ユング関係の書物を購入して読んでいる人は、それだけでも、このいかれたユング派の悪行に手を貸していることになる。ユング派をのさばらせた人は、責任をもってユング派を社会から隔離せよ。遠山敦子は何をしているのか。悪魔を野に放ったのだから、悪魔を捕まえて再び檻の中に閉じ込めるのが遠山の義務だろう。無責任にも、自分が放った悪魔をほったらかしにしたまま、あの世へ旅立つな。義務をきちんと履行してから、あの世に行ってくれ。


アニマは女性像ではないPARTⅥ」( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/part_20.html )

2016年1月13日水曜日

アニマは女性像ではないPARTⅣ

アニマは女性像ではない」( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post.html )


アニマは女性像ではないPARTⅣ

 僕には愛を感じている女性がいるが、あるとき我ながら恐ろしい決断をした。僕のほうからの彼女への連絡を断ってしまったのである。彼女から何か言いかけてきても、完全に無視した。これは、僕がもう彼女のことを嫌いになってしまったように見えただろう。それ以前に恋をしたこともあるが、生まれて初めて人を愛した一度きりの経験だった。その彼女への連絡をしなくなることは、死の世界に赴くことを決めるのと同等な決意だった。ユング派に付き纏われて虐待されている恐ろしさと苦しみは、彼女と会って何か月かしたときに、極点に達したのである。その恐ろしさは死の恐ろしさであり、苦しみは死の苦しみである。彼女と付き合っていれば、やつらは当然、彼女をも僕と同じ苦しみと恐怖の世界に叩き落そうとするだろう。最も大事な人を、僕と同じような目に遭わすことができるはずがないではないか。実際に、僕の両親や弟家族もやつらのターゲットになってしまっているのである。連絡を取り合っているだけでも、彼女は恐ろしいやつらのターゲットにされるだろう。
 ところが、僕は間違っていたようである。僕が彼女と連絡を取り合っても、そうでなくても彼女はターゲットにされたようである。なぜなら、彼女はユンギアンが興味をもちそうな音楽界で活躍する人だからである。ただ、彼女と僕が付き合っていても、ふたりの仲を引き裂く仕掛けをしてくるだろうけれども。その場合、永遠の別れになるだろう。
 彼らのやり方は、人が置かれている状況や環境に変化を起こすことである。AさんはBさんと会う約束をしている。ところが、Bさんは約束の時間に来ることができなくなった。Aさんは、そのためにかなりの時間を無駄に過ごした。Bさんの遅刻、または約束のすっぽかしの理由は、乗る予定の電車かバスに乗り遅れた、乗っていた電車かバスが故障して動かなくなった、家を出るときに急な用事ができてきた、Bさんの腕時計がいつのまにか時間が合わなくなっていた、Bさんは、もともとAさんと会いたくなかったので、ぐずぐずしているうちに行きそびれた、など様々なものがありうるだろう。やつらは、その状況において最も効果的な原因で、Bさんを約束の時間に間に合わなくなるように仕掛けをする。そうすると、AさんのBさんに対する感情に様々な変化をもたらすことができる。Bさんを嫌いになったり、その理由によっては、Aさんをかえって好きになったりすることもあるかもしれない。最悪の場合、Bさんを憎むようになることもあるだろう。こうして、二人の仲を変化させるような仕掛けをする。AさんとBさんの仲だけではなく、Aさんの仕事かプライベートでの状況においても、何らかの変化が生じる可能性がある。こういうふうなことをして、やつらは人間関係やターゲットになった人物の様々な状況に手を入れて操作しコントロールしようとするのである。僕が愛を感じている女性も、僕がちゃんと彼女に連絡をとってもとらなくても、このような被害にあっていたようである。そして、やつらの好き勝手な方向に誘導されていたようである。もう僕のことなんか忘れてしまっているかもしれない。
 このような人の活動への介入や人間関係への好き放題な介入は、広範囲で行なわれているようである。特にやつらが興味をもつ芸術など文化領域で著しい。これを可能にしたのが、ITなどの科学技術の飛躍的な発展である。
 このようなやり方で、人間関係、人の人に対する感情、人間活動全般に操作・コントロールが加えられることは、そのターゲットになった人の環境を剥奪していることになる。環境の剥奪とは、その人の置かれている環境が偽物になっているということである。Cさんが間違ってDさんを嫌いになったり、間違ってEさんを好きになったりというようなことが起きるのである。また、そのターゲットになった人の精神の自然な流れに掉さして妨害していることにもなる。
 変質者が荒れ狂う。こんな世界に誰がしたのか。変質者とはユング派のことである。「悪魔を元いたところに戻せ」  (http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post_2.html )でも書いたが、ユンギアンは精神異常の変質者ばかりである。酒井汀がいきなり、子どもが遊びでするように「達磨さんのにらめっこ」をしたときには、気味の悪さを感じた。精神病者を見たときの気味悪さである。この悪魔のような狂人どもを、とっつかまえて檻の中に閉じ込めよ。悪魔を野に放ったものが、責任をもって行なえ。遠山敦子は官僚として大出世して、果ては大臣にまでなったのだから、責任感はあるのだろう。遠山敦子は悪魔を野に放ったのだから、責任をもってとっ捕まえて、再び檻の中に幽閉せよ。


アニマは女性像ではないPARTⅤ
( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/part_18.html )