2015年11月22日日曜日

反社会的である

龍谷大学長殿
龍谷大学理事長殿
龍谷大学理事殿

 若い頃はともかく、真摯で誠実な人柄に見えた。ユング心理学に出会いそれに傾倒してしまって冷酷で恐ろしい人物になった文学部の小島勝教授を、龍谷大学構内で犯罪を行ったにもかかわらず庇い続けるのか。大学構内で犯罪を行った邪悪な小島勝教授と大取一馬教授を庇護して長い年月、雇用し続けるということは、学生や卒業生に対して犯罪行為を奨励し扇動しているのか。犯罪行為をすることを屁とも思わない邪悪な卒業生を、社会に送り続けているのか。そのような反社会的な大学を存続させておくわけにはいかないではないか。

2015年11月21日土曜日

人間やめますか、それともユングやめますか

龍谷大学長殿
龍谷大学理事長殿
龍谷大学理事殿

 詐欺犯罪の実行犯であった文学部の小島勝教授は、遠くから見ていた限りでは、若い頃は真摯で誠実そうに見えた。ところが、ユング心理学と出会ってから、人格が一変した。実に冷たく恐ろしい。平気で嘘をつく。人を騙す。油断や隙を見せようものなら、どのようなひどい仕打ちをされるか分からないような人物になった。それにもかかわらず、一見したところ暖かく優しそうに見えるから不思議である。これはユング派に共通する人格的特徴である。河合隼雄を思い出してほしい。河合と小島教授は、そっくりではないか。河合は、自身のこの特徴を利用して出世街道をまっしぐらに突き進んだ。人を見る目のない文部科学省の愚か役人どもは、河合にすっかり騙されたわけである。河合隼雄と小島勝教授のこのような人格的特性は、彼らがもはや人間ではなくなったことに由来する。河合隼雄や小島勝教授は、安寧の獲得と引き換えに人間の心を失ったのである。
 やはりユング心理学を信奉する遠山敦子にも、同様の人格的傾向があるはずである。遠山も、人間の心をなくしているはずである。遠山は、そのブログの筆を折ったようである。パナソニックも辞職したらしい。その理由は、遠山自身は何も書いていないので不明ではあるけれども、時期的に見て、遠山が犯した犯罪に起因する後ろめたさや罪障感の蠢きが遠山の心の中で生じた可能性はあると思う。そして、ブログをやめたりした時期の少し前には、遠山が行ったことは犯罪だと主張していた僕を、facebookで追跡していた(「春の訪れ」参照 あ、まずい。“OCEAN”は消滅したのだった)。ここに、春の訪れを感じていた。非人間的に凝り固まって根雪のようになっている心が、春の訪れとともに融けだすのである。遠山がブログを書くのをやめたことや、パナソニックを辞職したことにも、春の訪れを感じ取る余地はあるかもしれない。
 非人間的に凝り固まった心は、罪障感も後ろめたさも受けつけないかに見える。他者に対する思いやりも優しさも暖かい気持ちも皆無であるかのようにも見える。しかし、それでも人間的な心のひとかけらは残っているのかもしれない。
 龍谷大学。この恐ろしい冷酷な小島勝教授を庇うな。小島勝教授にひとかけらの人間的な心も残存していないのなら、なおさら庇うな。小島勝教授に人間的な心が少しぐらいは残っているのなら、やはり庇ってはいけない。庇えば、人間に回帰する道が閉ざされてしまうのである。
 犯罪者を庇うことによって、大学が学生や教職員に犯罪行為を奨励し扇動するとは何ごとか。そんな大学は、社会に有害なだけだ。大学である資格はない。早く解散せよ。

2015年11月20日金曜日

問題解決の方法

龍谷大学長殿
龍谷大学理事長殿
龍谷大学理事殿

 ある問題を解決しようとするに、まったく関係のない別の問題を持ち込んできて、犯罪行為を擁護して、犯罪者を庇護し援助することによって達成しようというのか。そんなことでは、その関係のない別の問題について人々の反感を招き、問題解決が遠のくだけである。大学が社会に向かって、犯罪を奨励し扇動して、社会的責任が果たせるのか。そんな大学は、さっさと社会から退場せよ。知性も何もない白痴同然の愚か者どもめ。
 早く金を返せ、犯罪大学。金120万円だ。

2015年11月16日月曜日

居場所がない

 日本で、やるべきことは済ませた。もう日本に用はない。いかれたユング派がはびこり、その不道徳で反社会的で非人間的なユング派を優遇する低劣な役所・文部科学省が大きな顔をしている日本なんかに、どうしていることができよう。ユング派と文部科学省を叩き潰してもらわなくては、僕は日本には居場所がないのである。

2015年11月4日水曜日

差別問題について

 例えば、ふたりの子どもがいて、ひとりには何らかの障害があって差別を受けているとします。母親は障害のある子のほうを、とてもかわいそうに思い、いつも優遇しています。食事を与えるときは、障害をもつ子に多く与え、その子の好きなものばかり選んでいます。お菓子が足りないときには、障害のある子にだけお菓子を与えています。子どもが悪戯をしたときには、障害のない子は、こっぴどく叱りますが、障害のある子は叱りません。このような子どもの育て方は、間違っていると思いませんか。これでは差別の問題の解決にはなりません。かえって差別問題をこじらせて、解決を困難にしているといえましょう。やはり、ふたりの子どもは平等に扱わなければなりません。与える食事の分量を同じにし、どちらにも好きなものと嫌いなものも与え、お菓子が足らなかったら、半分ずつ与える。子どもが悪さをすれば、どちらの子であっても、きちんと叱っておかなければなりません。差別の問題の解決のためには、みんな平等に扱うことが大切でしょう。