龍谷大学長殿
龍谷大学理事長殿
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詐欺犯罪の実行犯であった文学部の小島勝教授は、遠くから見ていた限りでは、若い頃は真摯で誠実そうに見えた。ところが、ユング心理学と出会ってから、人格が一変した。実に冷たく恐ろしい。平気で嘘をつく。人を騙す。油断や隙を見せようものなら、どのようなひどい仕打ちをされるか分からないような人物になった。それにもかかわらず、一見したところ暖かく優しそうに見えるから不思議である。これはユング派に共通する人格的特徴である。河合隼雄を思い出してほしい。河合と小島教授は、そっくりではないか。河合は、自身のこの特徴を利用して出世街道をまっしぐらに突き進んだ。人を見る目のない文部科学省の愚か役人どもは、河合にすっかり騙されたわけである。河合隼雄と小島勝教授のこのような人格的特性は、彼らがもはや人間ではなくなったことに由来する。河合隼雄や小島勝教授は、安寧の獲得と引き換えに人間の心を失ったのである。
やはりユング心理学を信奉する遠山敦子にも、同様の人格的傾向があるはずである。遠山も、人間の心をなくしているはずである。遠山は、そのブログの筆を折ったようである。パナソニックも辞職したらしい。その理由は、遠山自身は何も書いていないので不明ではあるけれども、時期的に見て、遠山が犯した犯罪に起因する後ろめたさや罪障感の蠢きが遠山の心の中で生じた可能性はあると思う。そして、ブログをやめたりした時期の少し前には、遠山が行ったことは犯罪だと主張していた僕を、facebookで追跡していた(「春の訪れ」参照 あ、まずい。“OCEAN”は消滅したのだった)。ここに、春の訪れを感じていた。非人間的に凝り固まって根雪のようになっている心が、春の訪れとともに融けだすのである。遠山がブログを書くのをやめたことや、パナソニックを辞職したことにも、春の訪れを感じ取る余地はあるかもしれない。
非人間的に凝り固まった心は、罪障感も後ろめたさも受けつけないかに見える。他者に対する思いやりも優しさも暖かい気持ちも皆無であるかのようにも見える。しかし、それでも人間的な心のひとかけらは残っているのかもしれない。
龍谷大学。この恐ろしい冷酷な小島勝教授を庇うな。小島勝教授にひとかけらの人間的な心も残存していないのなら、なおさら庇うな。小島勝教授に人間的な心が少しぐらいは残っているのなら、やはり庇ってはいけない。庇えば、人間に回帰する道が閉ざされてしまうのである。
犯罪者を庇うことによって、大学が学生や教職員に犯罪行為を奨励し扇動するとは何ごとか。そんな大学は、社会に有害なだけだ。大学である資格はない。早く解散せよ。