2015年2月27日金曜日

自我を死守せよ

 ストーカー行為を受けていると、最も深刻で喫緊な問題は自我をどう守るかである。ストーカー行為の被害は、自我に重大な危機を齎すからである。ストーカー行為をされると、何が本物の現実なのか、何が偽物の現実なのかの区別がつかなくなってくる。ストーカーというものは、被害者の環境や現実を捻じ曲げているからである。捻じ曲げられた環境や現実というものは、偽の環境や現実であること言うをまたない。そうして、偽物と本物との間の境界線さえも判然としなくなってくる。どこまでが本物で、どこからが偽物なのかが分からなくなってくる。こうなると、すべてが偽物であるのと大した違いがなくなってしまう。これは、環境を失い現実を失うに等しい。例を挙げれば、こういうことである。たとえば、ある人物に会ったとする。頻繁に奇妙な出来事が起こり、ストーカーの被害に遭っておれば、この人物はストーカーが寄越した者なのか、そうではないのかの区別がつきがたくなってしまう。ストーカーが派遣した者ならば、僕が今直面している現実は偽の現実である。そうでないなら、これは本物の現実である。この本物か偽物かの区別をつけることができなければ、すべてが偽物であることと、ほぼ同じになるのである。偽の現実の中にしかいられないということは、南極で激しく吹き荒れるブリザードの只中で、ひとりぽつねんと立っているのと同じことである。これは自我の一大危機であること、もちろんである。
 この自我の危機に、いかに対処して自我を守っていくかが僕が直面している重要な課題のひとつだった。自我を何としても死守しなければならぬ。これにしくじれば、それは死ぬことと同じだ。
 それで、ある方法を編み出した。無論、これは一時しのぎの仮の手である。この手を使うこと自体が苦しいのであり、つらいのである。それは、綱渡りであり、細谷川の丸木橋を渡るようなものである。足を踏みはずせば、もうおしまいだ。
 どうか、このいかれたユング派を何とかしてください。やつら自身が、現実を失い自我が崩れ落ちてしまっているから、他人に対して残虐非道なことが平気でできるのです。

 悪魔の棘。これがユング心理学において最終的に獲得される安寧の正体である。やつらは、この悪魔の棘を他人に突き刺そうとしているのである。そんなことをされたら、もうおしまいだ。この世の終わりがやってくる。これはもう“RET”でも、いかんともしがたいことである。人間でなくなってしまうのだから。生きているわけにはいかない。
 どうか、この狂人どもを一刻も早く叩き潰してください。 

 ストーカー行為を受けておれば、現実を失いそうになり自我が危機に瀕する。それとともに、実際に友人や家族や愛の対象さえも奪われていくのである。何もかもが奪われていく。これは必然的にそうなるのである。自分にとって大切な人を巻き込みたくないと考えるのは、当然のことではないか。もう僕には、この世界で居場所がなくなっているのである。

2015年2月26日木曜日

文部科学省2

 文部科学省よ、龍谷大学を威嚇するでないぞ。本当に、おっそろしい役所だなあ。なんでそんなに恐ろしい役所になったのか自分で分かるか。胸に手を当てて、よく考えてみよ。詐欺師の河合隼雄が、おめえんところの女性職員の遠山敦子をたらしこんでだな、おっと、この表現は適切ではなかったかな、・・・・。ええと、まあ、そんなようなことだ。

 当サイトは、いつ接続が遮断されるか分かりません。充分、ご注意ください。あれ?気をつけなきゃあいかんのは、この俺か。ちょっと待てよ、いくら注意しても防ぎきれないんだよなあ。深夜に首絞強盗にあったのと同じだ。

2015年2月24日火曜日

文部科学省

 長い間、考え続けてきた。しかし、なかなかその正体が分からない。
 龍谷大学で、ユング派による詐欺の被害に遭い、さらに酒井汀に“達磨さんのにらめっこ”(「自我を失ったら2」http://gorom2.blogspot.com/2015/01/blog-post_4.html)で恐怖に陥れられた。このふたつは繋がっていると思う。何者か、たぶんユング派がストーカー行為をしている。実は、それよりずっと前から何者かによってストーカー行為の対象になっていたのである。あるときは演奏会場だった。見知らぬ人物が客席のある会場内の階段を上ってきて、二階席にある座席に腰掛けていた僕のひとつ置いて隣の座席に座った。まず、空席だった前の座席の背を片足でどんと蹴る。それから、僕の顔を見て不敵な(たぶん、一生懸命に演じている)笑いを浮かべる。人を見下したような、馬鹿にした笑いでもある。それから曲に合わせて足で拍子を取り出した。場内には、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』の「花のワルツ」が鳴り響いている。こんな人物が「花のワルツ」を理解しているはずがなかろう。足で拍子をとっていたのは、これも演技のうちだろう。時間にして2~3分か。やがて、その会ったこともない、こちらは向こうのことなど全然知らないのに、向こうはこちらをよく知っている、その人物は立ち上がって、来るときと同じ道順を平然と(装って)立ち去っていった。
 あのとき、つかみかかってとっ捕まえてやればよかった、と考えたのは後智恵である。実際には、目の前で何が起きているのか、さっぱり理解できなくて、ただただ茫然としていただけである。これは何者か。当然ながら、このコンサートの主催者の仲間であると考えるのが自然だろう。
 これよりも前のことである。僕はバスで通勤していた。ある日の帰宅の途上でのことである。どうも僕と同じバス停から乗車したらしい男が、僕が腰掛けている座席の前にいて、しきりに振り向いて僕の顔をちらりと見る。その様子が、やはりこちらは相手のことを全く知らないが、相手はこちらのことをよく知っている、というような感じなのである。そして、これに類することが頻繁に起きた。もしかしたら妄想に捉われてしまったかな、とも考えた。ところが、これは妄想なのだと自分に言い聞かせて忘れてしまおうとすると、またまた同じような出来事が起こる。そうしているうちに、前述の演奏会場での出来事があったのである。演奏会場でのことは、僕が経験したことは決して妄想ではなかったことを裏付けるものだった。
 何者かによってストーカー行為が行われている。それは組織的に行なわれている。その組織とは何か。僕には、文部科学省しか思い当たらないのである。ある時期を境にして、ユング派がストーカー行為をなしているように見える。これは途中から文部科学省とユング派が、手を結び結託したからではないかと思う。それは、河合隼雄と遠山敦子との親密な関係を思い出せば、成程と納得できる。そして、ユング派と手を組んだらしい頃から、そのストーカー行為はすさまじく、より洗練されたものになった。科学技術の進歩の成果を最大限に利用しているように見える。
 端緒になったのは、重大な僕に対する誤解だろうと考えている。
 僕は人生を台無しにされた。一生を棒にふってしまった。音楽の創造の泉があって、それが本物だとしたら、それもともにほじくりかえされて駄目になってしまった。だいたいにおいて創造の泉などというものは、いじられること自体が掘り返され埋め立てられるのと同じことなのである。それは当然のことながら、泉は生き物であるからである。ユング派は物体のように考えているだろうが。ユング派という連中は、何でも物体のように考えている。心さえも、やつらにとっては物でしかないのである。無論、愛さえも同じである。

 このストーカーを追及するための取っ掛かりが、前から言ってきた文部科学省による僕に対する犯罪行為(名誉毀損罪か業務妨害罪)の結着をつけることである。しかし、これもいくら訴えても相手にしてくれない。そうすると、この訴えはどこに持ち込めばよいのだろうか。内閣だろうか、国会だろうか。裁判所は、どうなのだろう。

 一体この役所は、なんなのだ。以前に解体されてしまった大蔵省のノーパンシャブシャブなんか、まだまだかわいいものである。

2015年2月22日日曜日

書き加えました

龍谷大学」(http://gorom8.blogspot.com/2015/02/blog-post_19.html)に書き加えがあります。緑の背景。
また、「金鉱は見つからない」(http://gorom8.blogspot.com/2015/02/blog-post_15.html)にも、少しだけですが書き加えました。追記に一箇所。緑の背景。

2015年2月3日火曜日

行動してください

世界中の皆さん
  “Jungian”は、例外なく人間と決して心が通じ合わない毛虫かゴキブリのようなものです。現実を失くし自我を失くし人間の心を失ってしまっているからです。これは、教祖の“Carl Gustav Jung”の“individualization”が人間離れしたものだったからです。来る日も来る日も、薄暗い部屋にひとり閉じ籠って壁に向かってなにやら訳の分からないことをブツブツと呟いている。こんなことで人間の精神が健全になるわけがないでしょう。とても人間とはいえないような化け物になるだけでしょう。“Jungian”はみんな、この“Jung”の現実から閉じられた個性化を踏襲しているのです。
 “Jungian”は、日本の“Jungian”であろうが、アメリカの“Jungian”であろうが、どこの国の“Jungian”も同じです。みんな反社会的で非人間的です。自分さえよければよい、そのために他人はどうなってもよい、社会がひどい社会になっても俺は知ったことか、という実に利己的で自己中心的な人々です。どうか“Jungian”を社会から追放してください。そして、法律で“Jungian Psychology”を禁じてください。麻薬や覚醒剤と同様に、“Jungian Psychology”関係の書物を所持しているだけで犯罪としてください(「自我を失えば」http://gorom2.blogspot.com/2014/12/blog-post_28.html)。狂信的で、人を支配しコントロールしたがる“Jungian”が蔓延り、大きな顔をしている恐ろしい社会には生きていたくないものですね。

 もう僕には、これ以上のことはできないだろうと思います。それに、いつ殺されるかもわかりません。妄想体系で自己愛心理学のユング心理学、自我が壊滅しているユング派を叩き潰してもらわなければ、僕は日本に帰ることができません。お願いします。日本におられるみなさんは、どうか実際の行動を起こしてください。ユング派を放置していたら、日本の将来に暗雲が垂れ込めることになるでしょう。惨憺たる国になってしまいます。(実は眼鏡を壊されてしまいました。8・9か月前のことです。自分なりに細心の注意を払ってはいたのですが、ある国でめったに起こらないことが立て続けに起きて、自分では防ぎようのない事態に立ち至りました。それで、深夜に首絞強盗の被害に遭い、眼鏡まで壊されてしまいました。もう、その国には行きたくもありません。それ以来、ずっと眼鏡なしになっています。僕は、かなり近眼がひどいので、強い度数の眼鏡をかけていました。眼鏡がないと、道を歩くのも恐いのです。いつ、穴ぼこに落ちるか分かりませんし、実際に道路に横たわっていたパイプのようなものに足を引っ掛けて転んだこともあります。薄暗いときなど、車やバイクにぶつからないかと思うことがあります。常に死と隣りあわせなのです。非人間的なやつらが妙なことを仕掛けてきて、これはたまらん、と外国に逃げ出したのに、やつらは外国まで追いかけてきているようです。それは連中は僕よりも、はるかにたくさんの金を持っているだろうから、当然できるでしょう。どうか、このいかれたやつらを本来の居場所である檻の中に幽閉してください。)

 新国立劇場の関係者のみなさんは、泣き寝入りしていてはいけないと思います。遠山敦子は、自分の罪を反省し償うつもりがなさそうです。それなら、具体的な行動に出なければいけないと思います。刑事告訴をなさるのもよいかもしれません。ただ、くれぐれも気をつけてください。遠山敦子の背後には、ユング派がついているでしょう。自我を失っているやつらは、何をしでかすかわかりません。どんな卑劣な手段を用いるか、見当もつかないような連中だということを、お忘れなく。
 また、遠山敦子が理事長であったときに、新国立劇場に観劇やオペラ等の鑑賞に行かれた皆さんは、新国立劇場にチケット代金の返還を求めてください。その際には、それに伴う損害の賠償も請求されても、ちっとも構いません。遠山敦子が実行犯ですが、形式的には新国立劇場が行なった詐欺行為になります。新国立劇場が誠意ある対応をとらなかったら、集団で提訴してください。

 遠山敦子は原状回復してもらいたい。原状回復とは、遠山や文部科学省が重用した河合隼雄が行なった「心のノート」の作成などの愚行を改めて、元の状態に復すことである。すべてを河合がのさばる前に戻してもらいたい。これは遠山の義務である。日本をめちゃくちゃにしたまま、なんの後片付けもしないで、あの世に行くなよ。

 A大学は、学内で起きた犯罪事件の後始末を、きちんとしてください。大学人としての社会的な自覚があるのなら、これぐらいのことをするのは当然でしょう。犯罪事件をうやむやにしたまま大学であり続けようなどという無責任で身勝手な考えは起こさないでください。また、A大学の設立母体である伝統的な某宗教団体は、A大学が犯罪を行ったことを見過ごしにしないでください。
 B大学(東)は、A大学(西)で起きた詐欺事件に何らかの関与をしているのですか。あの気持ちの悪い、“きじるし”の犯罪者(脅迫罪。達磨さんのにらめっこ)の酒井汀を雇うとは、どういうことですか。遡って処分してもらえないのですか。
 A大学は、大学構内でA大学教授による詐欺犯罪の被害に遭ったといくら訴えても冷たく無視するのですよ。返事さえくれないのです。ひどいとは思いませんか。それで頭にきて、何の研究業績もあげられない無能教授ばかりそろえている名ばかり大学だと、随分ひどいことを申しました。文部科学省のほうは、僕に対する犯罪の調査依頼に対して、そんな調査なんかするつもりはない、と一応回答だけはくれました。これもひどいとは思いますが、何の返答もくれないA大学よりは少しはましです。B大学(東)におかれましては、この酒井汀を雇用してA大学(西)に派遣しておられたわけですから、ちょっと調査していただけないでしょうか。

 文部科学省は、不道徳で非人間的で反社会的な遠山敦子が中心になってした仕事(河合隼雄を重用し「心のノート」を作成させたことなど)の見直しをしてください。京都大学と同様、もっと社会的責任を自覚してください。
 京都大学が、その非人間的な学風を自分で改めることができなければ、京都大学の予算を削減するか、場合によっては京都大学に予算をつけない措置をとっていただきたい。国民の税金を、しかもかなりの多額になっている、非人間的で反社会的な大学に浪費させておくわけにはいかないでしょう。
 文部科学省は、ユング派を雇用している大学や研究機関等に対して、そのユング派を解雇するように指導してください。また、今後ユング派を雇用することがないよう、指導してください。
 また私事ですが、僕に対する犯罪行為の後始末もきちんとつけてもらいたい。

 京都大学は、いつまで指をくわえて傍観者みたいに眺めているのですか。そもそも、河合隼雄が京都大学教授になったから、この恐ろしい人物がのさばって社会に害を及ぼすことになったのではありませんか。しかも、今だに河合の息子や弟子を何名も雇っているのでしょう。日々、やつらは社会に害毒を垂れ流し続けているのです。いったい、いつまで、そんなこと俺の知ったことではないと傍観しているつもりですか。
 京都大学が、そんな人を人と思わないふざけた態度をとり続けて、非人間的な校風を自己改革することができないのならば、大学であることをやめてください。学生の質も、レベルが低すぎます(「Kyoto University2」http://gorom2.blogspot.com/2014/12/kyoto-university-2.html。「Kyoto University3」http://gorom2.blogspot.com/2014/12/kyoto-university-3.html。)他大学に大きな影響があります。国民の税金を、それもかなりの多額になっている、非人間的な大学に与えて浪費させておくわけにはいかないでしょう。

 関西地区在住の方々は、非人間的な校風を持つ京都大学が、象牙の塔の中で何をやっているのか時々は監視してもらえないでしょうか。国立大学だから、国民は監視する権利があるでしょう。しがない高校教師でしたが、非人間的な犯罪者河合隼雄を引き上げ引き立てて、河合が出世していって社会に害をなす弾みに京都大学がなりました。現在も、やはり非人間的な河合の息子や弟子を何人も雇用しています。これは、京都大学が非人間的な校風を持っているからです。日本でトップレベルの大学だと偉そうにいっていますが、学生のレベルは最低です。こんなひどい大学に多額の国民の税金を注ぎ込んで、好き勝手に浪費させておいてよろしいものでしょうか。

 大阪大学や大阪市立大学や帝塚山学院大学など、ユング派を雇用していたか、現在雇用している大学は、反省してユング派を解雇してください。いつまでも非人間的な京都大学の真似をしないでもらいたい。もうちょっと自分の頭でものを考えて行動できないものですか。一応、大学なのだから。

 大学や研究機関で、ユング派を雇っているところは、すぐにユング派をくびにしてください。ユング派を雇用しているだけで、それだけで反社会的であることになります。

 ユング派のカウンセラー・心理療法家は転職しなさい。もう二度と心理職についてはいけない。他の仕事を探すべきだ。人間の精神に対して、人間そのものに対して、犯罪に等しい冒涜を行なっていたのだ。ユング心理学は社会を蝕み、人間を蝕む。その先には人類の滅亡があるのみ。

 小泉純一郎はじめ政治家の皆さんは、河合隼雄や遠山敦子を引き上げて悪事を働かせるに大いに手を貸したのですから、きちんと責任を自覚して河合がのさばる前の状態を回復する対策を講じてください。遠山敦子の裁判の判決確定前は無罪が推定される、というような悠長なことをいっている場合ではないでしょう。人の命が危険にさらされているのです。それも、僕だけではなく、他にも何人かいる(おそらく芸術か古典芸能に関係している人)かもしれないのです。実際に生命を奪われることだけでなく、社会的に抹殺されることもあるでしょう。芸術的創造性を根底から毀損し破壊されるケースも考えられます。

 以下の皆さんには、申し上げるのが早すぎるかもしれませんが、何分にも僕はいつ殺されるかわからない状況になっていますので、お願いします。

 次の団体・会社の関係者の皆さんは、遠山敦子の理事長、会長、顧問、社外取締役、監査役などの職を解いてください。
                                   記
財団法人新国立劇場運営財団
公益財団法人トヨタ財団
公益財団法人パナソニック教育財団
財団法人日本いけばな芸術協会
日本・トルコ協会
株式会社NHKエンタープライズ
株式会社電通

 ユング心理学関係の書物を自宅にお持ちの方は、ゴミ箱に捨ててください。この危険な書物は、麻薬や覚醒剤と同じように、やがては所持しているだけで犯罪とされるべきものです(「自我を失えば」http://gorom2.blogspot.com/2014/12/blog-post_28.html)。

 図書館や書店の関係者の皆さんは、ユング心理学関係の書物を廃棄処分にしてください。

 岩波書店をはじめ、河合隼雄の著書などのユング心理学関係の書籍を出版して営利を得た出版社は、邪悪で恐ろしい書籍を出版していたのだから、出版人としての自覚と社会的責任を感じておられるのなら、反省し、その反省していることを国民にきちんと表明してください。

 国の法制を担っている方々は、ユング心理学を麻薬や覚醒剤と同様に法律で禁じる措置を検討してください(「自我を失えば」http://gorom2.blogspot.com/2014/12/blog-post_28.html)。

 ユング派は権力に擦り寄り、権力におもねり、権力の分け前にあずかろうとし、人を支配しコントロールしようとする恐ろしいやつらです。あまり目立たないかもしれませんが、今ではもう、権力者から分けてもらった邪悪で恐ろしい力を陰でこそこそと行使しているかもしれません。だから、ユング派と戦うということは、身の危険さえも降りかかってくるかもしれないような大変なことなのです。しかも、やつらは自我が壊れてしまっていて、何をしだすかわからないようなやつらです。日本国民の皆さん。ユング派と戦う人々を、どうか支援してあげてください。

海老蔵君、心せられよ。
 僕は、市川海老蔵さんの悪口を言うつもりはありません。海老蔵君は、日本の宝だ。
 だからこそ気をつけてください。ユング派には、くれぐれも近づかないようにしてください。海老蔵君がユングファンである宮崎駿の大ファンであることを知ったときには、いやな気分になりました。彼らが、もしも海老蔵君をターゲットにしたら、日本の古典芸能である歌舞伎の伝統を根底から破壊し、その廃墟の上に新しくやつらの妄想体系を基本にした様式を確立しようとするでしょう。ユング派は、彼らが拠って立つ思想こそが唯一絶対的な真理であると盲信しているわけですから、美の伝統さえも屁とも考えていないのです。これは恐ろしいことですね。芸術や芸能とは無縁な人種のやつらが、海老蔵君にとりついてそんなことをしたのでは、歌舞伎の価値がなくなってしまいます。歌舞伎の伝統は、そのときに失われてしまうことになります。
 ただ危惧しているのは、海老蔵君はもう既にやつらに白羽の矢を立てられてしまっているかもしれない、ということです。ユングを批判していた“Richard Noll”にストーカーのような行為をして活動を妨害していたのですが、ユング派というやつらはどうしたことか、みんなこうなるのです。狂信的な“cult”の信者と同じ心性なのです。すさまじいばかりの自己愛人間なのです。一度狙われたら最後、ずっと付け狙ってくるでしょう。本当に気持ちの悪いやつらです。やつらのやり口は、やつらにとって都合のよい行動をターゲットがしたときは快刺激(気分がよくなったり、うれしくなるようなこと)を与え、やつらにとって都合の悪い行動をターゲットがしたときは嫌悪刺激(不快な刺激、不快になるようなこと)を投与するということです。これは、もともと学習心理学の理論なのですが、人を操作しようとするときに悪用されます。マインドコントロールや洗脳などで悪用されています。だから、くれぐれも気をつけてください。
 奇妙な殴打事件や不自然なブログの収益は、まだまだ序の口かもしれません。

2015年2月2日月曜日

交渉しています2

 早かったなあ。また言うけど。あの素早さは、佐々木小次郎の燕返しにも決して引けをとらないくらいだ。
 あひる返しの女小次郎。どうだ参ったか。わしのほうはな、二刀流どころか三刀流になってしもうたわい。ありゃ、手が足りない。どうしよう。しようがない。すりこ木みたいな短い足でも使ってやるか。

遠山敦子のブログ」(http://ameblo.jp/toyama-atsuko/)の強制削除について、“CyberAgent, Inc.”(ameblo)さんに依頼している。そもそも利用規約に違反しているブログなのである。犯罪行為を煽っているわけだから。だから“CyberAgent, Inc.”(ameblo)さんとしては、「遠山敦子のブログ」を削除しないわけにはいかないのではないだろうか。

遠山さんへ
 だいたいね、2月1日にですな、格調の高い文章をものしてですな、世界中の人々を魅了してもらわないといけなかったのですぞ。日本には遠山敦子という名文家がいるとね。ところが、あれは何ですか。文学的・芸術的香りの微塵もない文章は。役所の公文書のような文章しか書けないとなると、邪魔をされて自分の作品をめちゃくちゃにされた演出家や難癖をつけられてくびにされた芸術家の皆さんは、遠山を絶対に許せないと、当然考えるでしょうなあ。突然芸術に“目覚め”てですな、自分をプロの芸術家以上の芸術家だと思い込んで、プロのディレクターを押しのけて、代わりに演出してやろうというのでしょう。わたしはプロの芸術家を凌ぐ芸術家であるということを、どうして立証してくだされなかったのですか。これではね、ただの頭のいかれたおばさんが、現場にやってきて訳の分からないことを口走り、プロの演出家に、「何だその下手糞な演出は」と罵り、一生懸命、働いている人たちを大混乱に陥れたのでしょう。するとね、その現場にいた人みなさんが、「何だ、この気違いババア、精神病院にでも閉じ込めておけ」とお考えになるのも無理はないと思いませんか。
 それから「遠山敦子のブログ」を強制削除される前にですな、そりゃあ、犯罪を煽るという利用規程の禁止事項に違反しているのだからしようがない、その前にですな、御自分から潔く閉鎖されたらいかがでしょうかねえ。強制削除なんて、惨めなものでしょう。その前に、御自分でバッサリと切って捨てられたらいかがでしょうか。ほらほら、新国立劇場でも何人かの芸術監督をバッサリと。あの難癖も、ちょっと気違いじみていましたなあ。どうせ、芸術的な香りの高い文章で世界中の皆さんを魅了して差し上げることは、おできにならないのでしょう。「遠山敦子のブログ」を閲覧される人々は、肝心の記事の内容なんかどうでもよくて、日附にしか興味がない。これじゃあね、ブログなんかやってても、ちっとも張り合いがない。誰も読んでくれないのだから。日附にしか目がいかないのだから。これから先、ずっとそうですよ。そんな徒労は、もうおやめになったらいかがですか。御自分で閉じられるのが一番ですよ。

2015年2月1日日曜日

交渉しています

 早かったな。0時半には、もう“up”してあった。夜中に日付が変わるのを今か今かと待っているみたいだ。早く寝ちまえばいいのに。年寄りなのだから。先月は、どちらにも旅行にはいらっしゃらなかったようですな。緊縮財政ですかい。だけど、この記事は、いつ書いたものなのかな。いつでも書けるような記事だけど。自分が“にわか芸術家”であることを立証しなければならないのに、相も変わらず役所の公文書の文章で書くとは。
 犯罪を犯しても反省する気はないのか。これは、えらいことになった。まるで異星人を相手にしているみたいだ。さすがユング心理学の大ファンだけある。ユングにのぼせ上がり恋をしたか。この燃えるような恋は、傍の者がいくら諌めても聞き入れない。年取ってからの一途な熱烈な恋というものは、厄介なものだ。どうやら、人間の心をなくした化け物を相手にしていたようだ。それとも、マインドコントロールか洗脳でもされているのかな。ああ、くたびれた。
 今年の1月2日までは、たぶん、このサイトを見ているだろうと考えていた。だが、100パーセントの保証があるわけではないので、念のために1月2日にメールして、「反論したほうがよいですよ」といっておいた。だから、ほぼ確実に「真幸くあらばまたかへり見む」を閲覧していると思う。

遠山敦子のブログ」(http://ameblo.jp/toyama-atsuko/)の強制削除について、“CyberAgent, Inc.”(ameblo)さんに依頼しています。理由は次の通りです。

 遠山敦子は、犯罪者でありながら何の反省もしていません。それどころか、今だに多くの団体の会長、理事長、顧問、社外取締役の任に就き偉そうにふんぞり返っています。東京大学法学部の卒業だといっているのですが、法律や規則については全然わからないのです。学歴を詐称しているのではないかと考えました。私が自分のサイトで行なっている法律論は、実に初歩的な法律論です。私ができる法律論は、初歩的で基本的なものしかできません。遠山敦子は、このような初歩的な法律論でさえも理解することができないようです。このような人物を会長、理事長、顧問、社外取締役の任につけておくことが好ましくないこと言うまでもありません。
 芸術的な素養もなければ、芸術的センスもないくせに、ユング心理学という妄想体系にとり憑かれて、ある日突然、自分を“芸術家”だと思い込んでしまったようです。気持ちの悪い“きじるし”ではありませんか。そして新国立劇場の理事長であったときに、何を血迷ったか自分を“芸術家”だと誤認している遠山敦子は、芸術の創作過程にまで権限もないのに偉そうに口を出して、芸術作品をめちゃくちゃにして破壊してしまいました。その上、恐ろしいことに何人かの芸術家を、コミュニケーションが下手だと難癖をつけてくびにして、芸術家が生活費を稼ぐ手段を奪い取ったのです。これは、何人かの芸術家を殺害したに等しいでしょう。コミュニケーションが下手だというのは、まさに難癖であって、実際には遠山敦子が信奉する邪教、妄想体系を基礎にするユング心理学に適合しない芸術家を粛清したのではないかと考えられます。
 この恐ろしい犯罪者、反社会的、反芸術的、反文化的、非人間的な“きじるし”の遠山敦子のブログを強制削除してください。

このサイトには姉妹サイトがあります。

真幸くあらばまたかへり見む(Wildflower)』http://gorom8.blogspot.com/

野の花“Wildflower”は、ある予定のために立ち上げたものですが、例の事件が発生したために急遽予定を変更しています。