長い間、考え続けてきた。しかし、なかなかその正体が分からない。
龍谷大学で、ユング派による詐欺の被害に遭い、さらに酒井汀に“達磨さんのにらめっこ”(「自我を失ったら2」http://gorom2.blogspot.com/2015/01/blog-post_4.html)で恐怖に陥れられた。このふたつは繋がっていると思う。何者か、たぶんユング派がストーカー行為をしている。実は、それよりずっと前から何者かによってストーカー行為の対象になっていたのである。あるときは演奏会場だった。見知らぬ人物が客席のある会場内の階段を上ってきて、二階席にある座席に腰掛けていた僕のひとつ置いて隣の座席に座った。まず、空席だった前の座席の背を片足でどんと蹴る。それから、僕の顔を見て不敵な(たぶん、一生懸命に演じている)笑いを浮かべる。人を見下したような、馬鹿にした笑いでもある。それから曲に合わせて足で拍子を取り出した。場内には、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』の「花のワルツ」が鳴り響いている。こんな人物が「花のワルツ」を理解しているはずがなかろう。足で拍子をとっていたのは、これも演技のうちだろう。時間にして2~3分か。やがて、その会ったこともない、こちらは向こうのことなど全然知らないのに、向こうはこちらをよく知っている、その人物は立ち上がって、来るときと同じ道順を平然と(装って)立ち去っていった。
あのとき、つかみかかってとっ捕まえてやればよかった、と考えたのは後智恵である。実際には、目の前で何が起きているのか、さっぱり理解できなくて、ただただ茫然としていただけである。これは何者か。当然ながら、このコンサートの主催者の仲間であると考えるのが自然だろう。
これよりも前のことである。僕はバスで通勤していた。ある日の帰宅の途上でのことである。どうも僕と同じバス停から乗車したらしい男が、僕が腰掛けている座席の前にいて、しきりに振り向いて僕の顔をちらりと見る。その様子が、やはりこちらは相手のことを全く知らないが、相手はこちらのことをよく知っている、というような感じなのである。そして、これに類することが頻繁に起きた。もしかしたら妄想に捉われてしまったかな、とも考えた。ところが、これは妄想なのだと自分に言い聞かせて忘れてしまおうとすると、またまた同じような出来事が起こる。そうしているうちに、前述の演奏会場での出来事があったのである。演奏会場でのことは、僕が経験したことは決して妄想ではなかったことを裏付けるものだった。
何者かによってストーカー行為が行われている。それは組織的に行なわれている。その組織とは何か。僕には、文部科学省しか思い当たらないのである。ある時期を境にして、ユング派がストーカー行為をなしているように見える。これは途中から文部科学省とユング派が、手を結び結託したからではないかと思う。それは、河合隼雄と遠山敦子との親密な関係を思い出せば、成程と納得できる。そして、ユング派と手を組んだらしい頃から、そのストーカー行為はすさまじく、より洗練されたものになった。科学技術の進歩の成果を最大限に利用しているように見える。
端緒になったのは、重大な僕に対する誤解だろうと考えている。
僕は人生を台無しにされた。一生を棒にふってしまった。音楽の創造の泉があって、それが本物だとしたら、それもともにほじくりかえされて駄目になってしまった。だいたいにおいて創造の泉などというものは、いじられること自体が掘り返され埋め立てられるのと同じことなのである。それは当然のことながら、泉は生き物であるからである。ユング派は物体のように考えているだろうが。ユング派という連中は、何でも物体のように考えている。心さえも、やつらにとっては物でしかないのである。無論、愛さえも同じである。
このストーカーを追及するための取っ掛かりが、前から言ってきた文部科学省による僕に対する犯罪行為(名誉毀損罪か業務妨害罪)の結着をつけることである。しかし、これもいくら訴えても相手にしてくれない。そうすると、この訴えはどこに持ち込めばよいのだろうか。内閣だろうか、国会だろうか。裁判所は、どうなのだろう。
一体この役所は、なんなのだ。以前に解体されてしまった大蔵省のノーパンシャブシャブなんか、まだまだかわいいものである。