2015年2月27日金曜日

自我を死守せよ

 ストーカー行為を受けていると、最も深刻で喫緊な問題は自我をどう守るかである。ストーカー行為の被害は、自我に重大な危機を齎すからである。ストーカー行為をされると、何が本物の現実なのか、何が偽物の現実なのかの区別がつかなくなってくる。ストーカーというものは、被害者の環境や現実を捻じ曲げているからである。捻じ曲げられた環境や現実というものは、偽の環境や現実であること言うをまたない。そうして、偽物と本物との間の境界線さえも判然としなくなってくる。どこまでが本物で、どこからが偽物なのかが分からなくなってくる。こうなると、すべてが偽物であるのと大した違いがなくなってしまう。これは、環境を失い現実を失うに等しい。例を挙げれば、こういうことである。たとえば、ある人物に会ったとする。頻繁に奇妙な出来事が起こり、ストーカーの被害に遭っておれば、この人物はストーカーが寄越した者なのか、そうではないのかの区別がつきがたくなってしまう。ストーカーが派遣した者ならば、僕が今直面している現実は偽の現実である。そうでないなら、これは本物の現実である。この本物か偽物かの区別をつけることができなければ、すべてが偽物であることと、ほぼ同じになるのである。偽の現実の中にしかいられないということは、南極で激しく吹き荒れるブリザードの只中で、ひとりぽつねんと立っているのと同じことである。これは自我の一大危機であること、もちろんである。
 この自我の危機に、いかに対処して自我を守っていくかが僕が直面している重要な課題のひとつだった。自我を何としても死守しなければならぬ。これにしくじれば、それは死ぬことと同じだ。
 それで、ある方法を編み出した。無論、これは一時しのぎの仮の手である。この手を使うこと自体が苦しいのであり、つらいのである。それは、綱渡りであり、細谷川の丸木橋を渡るようなものである。足を踏みはずせば、もうおしまいだ。
 どうか、このいかれたユング派を何とかしてください。やつら自身が、現実を失い自我が崩れ落ちてしまっているから、他人に対して残虐非道なことが平気でできるのです。

 悪魔の棘。これがユング心理学において最終的に獲得される安寧の正体である。やつらは、この悪魔の棘を他人に突き刺そうとしているのである。そんなことをされたら、もうおしまいだ。この世の終わりがやってくる。これはもう“RET”でも、いかんともしがたいことである。人間でなくなってしまうのだから。生きているわけにはいかない。
 どうか、この狂人どもを一刻も早く叩き潰してください。 

 ストーカー行為を受けておれば、現実を失いそうになり自我が危機に瀕する。それとともに、実際に友人や家族や愛の対象さえも奪われていくのである。何もかもが奪われていく。これは必然的にそうなるのである。自分にとって大切な人を巻き込みたくないと考えるのは、当然のことではないか。もう僕には、この世界で居場所がなくなっているのである。