2014年12月28日日曜日

集合的無意識なんかなかった

 人類は集合的無意識(collective unconscious)をどのようにして獲得したのだろうか。これについては、僕の2本目の発表論文を読んでいただくのが一番よいのだけれども、ここでかいつまんで述べておく。因みに、1本目の論文は国文学関係のものであるが、なんと国立国会図書館には所蔵されていないのである(20013年2月時点)。これは明らかに違法状態であるが、怠慢によるものである。僕はこのことを指摘して、国立図書館への送付を促したが、いまだに送付されていないのではないかと思う。しかし、この送付については僕には関わりのないことであるので、これ以上は言わないことにする。そのかわり特に関西地方の私立大学の図書館や研究室には、この雑誌を所蔵しているところもあるはずである。2本目の論文を発表した後、僕は論文を書いても発表することができなくなった。翻訳書さえ出版できなくなった。なにか言論統制のようなものを感じた。こうして日本を捨てざるをえなくなったのである。アメリカも似たような状況であろう。ユングを批判していた“Richard Noll”は、2作目か3作目の著書を出版してから、ぱったりとユング批判の本を出さなくなった。“Richard Noll”に続く人物も出てきそうにない。“Richard Noll”に対するユング派のストーカーまがいの行為によるのかもしれない(“Richard Noll”二作目の著書の後書き参照)。日本もアメリカも、本当に自由主義的な民主国家なのか。日本もアメリカも、民主化されていないと他国を非難する資格はない。
 集合的無意識は、絶対に変化してはならないものである。もしも変化するものだとすれば、アフリカに住んでいる人々と、東洋の国日本で生きている人々の集合的無意識が長い時間の経過とともに、それぞれの異なる経験の積み重ねによって、違うものになるはずである。そうすると、アフリカの人々と日本の人々との集合的無意識が異なるものだということになって、これではとても集合的無意識とはいえないものになってしまう。個別的な無意識になってしまうのである。従って、集合的無意識は絶対に変化してはならぬものである。
 集合的無意識が絶対に変化してはならないとすれば、実に奇妙なことになってしまう。進化論の立場に立てみよう。人類は、その進化の過程のどの時点において集合的無意識なるものを獲得したのか。サルのような動物から、ホモサピエンスになったとき、そのときに生存していた人々の全員の心の深奥に、集合的無意識なるものが一斉に形成されたのか。こんな途方もない馬鹿げたことがありうるはずがないことは、誰の目にも明らかだろう。
 そうすると、人類がホモサピエンスになる前の、もっと早い段階にその時点を求めなければならなくなる。いったいどの時点だろうか。そんな時点など、どこにもないのである。地球上で生物が海で発生した時点まで遡ってしまうのである。そうすると、アメーバのような原生動物にも、人類の集合的無意識と共通するような集合的無意識があることになる。アメーバの集合的無意識も人類のものと同じように高度な内容を持っていて、アメーバの夢の中で、アニマとか影とかの元型が現れる。そして、地球上のあらゆる生物の無意識は同一のものであることになる。こんな馬鹿げたことを誰が信じよう。
 進化論の立場を放棄したらどうなるのか。進化論は、神による世界創造神話に対するアンチテーゼとして提起されたものである。神は一日にして人類を作り、その心の深奥に集合的無意識なるものを付与されたことになる。これは、“Jungian”としては受け入れがたい考えであろう。彼らは、神という概念の上に、さらに上位概念を建てているからである。すなわち、元型としての自己(self)である。つまり、神の絶対性を否定し、神の存在さえも否定するのである。だから、彼らは世界中のあらゆる宗教を見下している。または、自分たちの“はしため”のように考えている。だから、宗教団体の設立したA大学の学長や理事長をはじめ、A大学の運営に携わる人々は愚か者だと言っている。神による世界創造神話を認めても、ユング心理学は根底から崩れ去ることになるのである。
 進化論に立脚しても、世界創造神話に立脚しても、集合的無意識なるものはありえないことがわかった。ユング心理学は、単なる精神病者の妄想体系にすぎない。

自我を失えば

 麻薬や覚醒剤が法律で禁止されているのは、それを使用して酩酊状態になったときに自我(Ich)を失うか、自我に重大な欠損が生じるからと考えられる。自我を失ったものほど恐いものはない。何をしでかすかわからないからである。ユング心理学によって獲得した安寧の状態でも、彼ら“Jungian”は何をしでかすかわからないのである。麻薬や覚醒剤を使用したときと同じで、自我を失っているのである。それでよい気分になり、“ウソツキ退職”の罪の意識も消え失せたかに見える。実際には、消失してはいないのであるけれども。自我を失うという意味で、麻薬や覚醒剤による酩酊状態と同じなのである。ユングに批判的だった“Richard Noll”へのストーカー行為は、“Jungian”が狂信的な“cult”の信者のように自我を失っている徴である。“Jungian”は、おしなべてこのような反応のしかた、行動のしかたをする。これは昔から“きじるし”と呼ばれていたものの反応のしかた、行動のしかたである。したがって、ユング心理学も刑法の規定によって禁止されなければならない。麻薬や覚醒剤と同様に、ユング心理学関係の書物を所持しているだけで犯罪に問われなければならない。自我を失った人間というものは、犯罪者か精神病者にしかなれないのである。自我を失うこと、これはすなわち精神病である。

2014年12月26日金曜日

“Ave Maria”の補足

“Ave Maria”の補足

 “Ave Maria”(http://gorom2.blogspot.com/2014/12/ave-maria.html)で、カッチーニのアヴェ・マリア(Caccini Ave Maria)とヴィヴァルディ(Vivaldi)の音楽との関連性について書いたが、これは、もちろんメロディが似ているとか盗作とかという問題とは関係ない。“Ave Maria”を聞いていたときに、どうした訳か“Vivaldi”の横顔がちらりと見えただけである。
 芸術家は、彼以前の偉大な芸術家の作品を咀嚼し反芻し、自分のものにする。その偉大な先人のひとりが“Vivaldi”だったのではないかと考えたわけである。そのような経験を積み重ねることによって、自分なりのスタイル(style)を確立するのである。ユング派(Jungian)のように、集合的無意識(collective unconscious)とか元型(archetype)のような妙な観念にとり憑かれて、ある日突然、芸術に無縁な者が、何の芸術の素養もないものが“芸術家”に変身する、芸術好きになるなどということはありえないことである。彼らの芸術へ嗜好は偽物である。人間としても偽者である。気持ちの悪いやつらだ。彼らが人間の社会に存在することさえ厭わしい。
                                                           (September 25, 2014)

憔悴

 憔悴しきっている。このような憔悴は、相手が手を緩めたときに、津波のように押し寄せてくるもののようだ。
  死の直前まで追いつめて、観念して覚悟を決めたところで、さっと手をひく。これがやつらのやり方だ。死を垣間見させて、それでやつらの思い通りの行動をとらせようというわけである。逮捕監禁して暴行を加えた上で、脅迫しているようなものである。こんなことが、まだまだ繰り返されるのかと思うと、気が重くなる。
                                                           (September 18, 2014)

Kyoto University 3

 A大学大学院在学中に起きた、ある教授の講義中に“Kyoto University”から受講に来ていた大学院生(教育学専攻)が講義の模様を録画しようとしたことに、僕が異議を差し挟んだことに関してである。この録画は、あとで“Kyoto University”に持ち帰って、みんなで繰り返し繰り返し見て学習しようというものだろう。実に利己的である。そして人を舐めてかかっている。A大学の学生や当局の存在が眼中にはないかのようである。
 Hayao Kawaiは、2度のウソツキ退職(「ユング心理学批判」http://moriyamag.blogspot.com/)の後に、“Kyoto University”教育学部(Department of Education)教授になった。心理学の講座が教育学部に置かれることに、違和感を感じないだろうか。子ども達を心理学の知見に基づいて教育してやろうというのか。冗談ではない。そんな冷たい教育を施されたら、子ども達はたまったものではない。
 Kawaiの死後、息子の“Toshio”が教育学部の教授になったと思うが、今は“心の未来なんとかセンター”という研究機関に移っているようである。“心の未来”とは、よくぞ言ったものだ。人間の心を作り変えようというのか。C・G・ユング(Carl Gustav Jung)は、いわゆる個性化(individualization)の過程をたどり、最終的に至りついたところでは、“人間精神の拡張”が生じるとしている。人間の心の改造とは、とりもなおさずユングのいう“人間精神の拡張”と呼応するものなのだろう。それは“拡張”ではない。化け物になることだ。人間が人間ではなくなることである。ユングファン・河合ファンの作家の村上春樹の顔を見るがいい。人間の顔をしていないではないか。化け物に文学作品が書けないのは分かりきったことではないか。
 A大学におけるユング心理学を背景にした詐欺犯罪の実行犯であったK教授は、“Kyoto University”の卒業である。Hayao Kawaiをはじめユング派の心理学者の多くも“Kyoto University”の卒業である。録画撮りしていた講義の教授も“Kyoto University”教育学部の元教授であり、受講しに来ていた院生も“Kyoto University”の教育学専攻つまり教育学部の学生である。A大学には多くの“Kyoto University”出身者や関係者がいて、A大学を牛耳っているのだろう。このように考えてみると、詐欺犯罪事件を訴えているのに返事もしないA大学の背後に、“Kyoto University”の影がちらついて見えてきた。録画撮りに異議を唱えたことについて、“Kyoto University”は僕に意趣返しをしているのだろうか。
                                                         (September 18, 2014)

Kyoto University 2

 僕はA大学大学院(“Kansai Area”に位置するので、中核大学“Kyoto University”の影響下にある)に在学中にユング心理学の思想を背景にした詐欺犯罪の被害にあったわけだが、まだその犯罪行為が明らかになる前の4月か5月のことである。Kyoto Universityを定年退官したある教育学の教授が、A大学に特任の教授として任用されていた。この教授自身は、そんなに非人間的なようには見えない。むしろ、立派な人格者のような印象を受ける。そして、ユング心理学に対しては批判的な考えをお持ちのようである。ところが、この教授を慕って“Kyoto University”から聴講生としてA大学に押しかけてきた10名近くの大学院生(教育学専攻)たちが、ひどかった。本来、この講義を受講する最も正当な権利を持っているはずのA大学の学生たちを脇において、どっかりと居座る。A大学の学生たちは、隅っこで小さくなっている。そうして、なんの断りもなしに、この講義をビデオ撮りしだしたのである。僕は、これはおかしいと思った。どうしてもビデオ撮影したいのなら、A大学の学生たちに一言断りを入れるのが社会的な常識だろう。また、A大学当局にも事前に申し入れしておかなければならないのではないだろうか。彼らは、薄っぺらなエリート意識をさらけだしなだら、傍若無人に振舞う。僕は、たまらず抗議した。「この講義はA大学で行われている講義です。他大学から受講しに来た人が、どうしてなんの断りもなしに勝手にビデオ撮影するのですか。」教授は、すぐにビデオ撮影をやめさせてくれた。しかし、僕は嫌われただろう。教授は、よそで長年勤め上げてから“Kyoto University”に、定年の年齢に近くなってから移ってこられた。奇跡的に“Kyoto University”の非人間的な伝統的な学風に染まるのを免れていたのかもしれない。自我(ego, Ich)の弱い大学院生のほうは、すっかり非人間的な学風の虜になっていた。このような行動をしたら、他の人たちはどのように受けとめるか、もしかしたら惨めな思いにさせることはないだろうか、ということを大学院生にもなって、しかも教育学専攻なのである、慮ることができないのである。
 ユング心理学の非人間性は、おそらく個を蔑ろにするからだろう。集合的なるものとか普遍的なるものとか、奇妙なものを無意識に仮定すれば、人は個人を尊重しなくなる。全体がすべてになってしまう。政治的な全体主義的な考えと好一対をなす。人はミツバチの社会の一匹となる(「ミツバチの巣で死神を見た」(http://gorom2.blogspot.com/2014/12/blog-post_97.html))。ユング心理学では、今目の前で微笑んでいる人、涙を流している人、喜んでいる人、悲しんでいる人と出会うことはない。集合的無意識などという巨大な障壁が、生身の人と人との出会いを妨げるからである。今笑っているのは、今泣いているのは、集合的無意識とどのような関わりがあるのか、このような観点からしか人を見ようとしないからである。ユング心理学の辞書には、「愛」とか「思いやり」とか「共感」という文字はない。
 “Kyoto University”の非人間的な学風はどうなのだろうか。やはり第二次大戦の軍国主義や全体主義をこの大学が払拭することができないでいて、連綿と伝統として生き残っているからだろうか。             
                          (September 17, 2014)

Ministry of Education

 文部科学省(Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology)は、ウソツキ退職をして、子どもに対して非人間的な心理検査を行い、これを日本臨床心理学会で批判されるとかんかんに怒って学会を飛び出すような反社会的で非人間的な“Hayao Kawai”を中教審(中央教育審議会。Central Education Council)の委員に任命した。その後“Kawai”は、次々と政府関係の審議会の委員や座長に任命されていくことになる。そればかりか、文化庁(文部科学省の外局)の長官に起用し、挙句の果てには不道徳で非人間的な“Kawai”に、日本の子ども全員に配布され、強制的に読ませ書き込ませる道徳の副教材「心のノート」まで作成させた。日本の教育省(Ministry of Education)は、何と非人間的なのだろう。
 これは、“Kyoto University”が非人間的な伝統を有しているのと同じ理由による。文部科学省は、“Kyoto University”の監督官庁である。あの残虐で非人間的な“731部隊”(Unit 731)の構成員達が“Kyoto University”などの大学や研究機関に戻ってきて、中にはどうした訳かどんどん出世していくものもある。それを指をくわえて、ただ見ていたのが、文部科学省なのである。それどころか監督官庁のこの役所は、そのようなことを奨励していたのかもしれない。
 “Kyoto University”と同じく、この役所には非人間的な性格が組織全体に蔓延している。職員のひとりひとりの人間性が壊れているのである。あとから新しく入ってくる職員も、その風潮にすぐに染まってしまうから、とてもこの非人間的性格を改めることはできない。もう解体するしかないような状況に立ち至っている。文部科学省は、世界で最も無能で非人間的な教育省(Ministry of Education)である。
 僕は文部科学省の役人の犯罪行為の被害に遭った。よく犯罪行為の被害者になるが、この場合は詐欺や強盗ではなくて、名誉毀損である。虚偽の事実を摘示した名誉毀損罪である。そのために職を奪われた。文部科学省に直接訴えても、調査すらするつもりはないという回答を得た。実に非人間的で反社会的な連中ではないか。このような連中が、子どもを養育する教育行政に携わっているのである。

 最近いくつかあげたものは、遺書を書くつもりで書いたものである。やつらは、どうやら本気らしい。もうそろそろ、旅立たなくてはならないのかもしれない。

2014年12月16日火曜日

Kyoto University

 Kyoto University(京都 大学)は、日本で一・二を争う名門 校である。Kyoto市に位置するため、関西地方(Kansai Area)の各大学に大きな影響力を有し、リーダー的な存在である。Kyoto Universityを卒業したというだけで、職場では一目置かれるだろう。A大学で、ユング心理学の思想を背景にした詐欺犯罪を行なったK教授も“Kyoto University”の卒業者であった。
 たとえば文学部は、二流大学以下である。自然科学分野が、気を吐いているようである。ノーベル賞受賞者が、物理学賞、化学賞、医学 ・生理学賞に少数ながらいる。そして、心理学の分野における他大学への影響力(関西地方における)は大したものである。心理学といっても、どうしたわけか教育学部になっている。Kyoto Universityの心理学が大きな顔をしているのは、ウソツキ退職の、子どもに対して非人間的な心理検査を行なって日本臨床心理学会で批判されると学会を飛び出した“Hayao Kawai”を任用し、その死後には“Hayao  Kawai”の息子であるという理由だけで“Toshio Kawai”(河合俊雄)を採用したからである。この他にも、数名のユング派の臨床心理学者が在職しているようである。
 Kyoto Universityの非人間的な伝統が、このような人事に影響を与えた。反社会的で非人間的な“Hayao Kawai”などを採用せしめたのは、この大学の非人間的な傾向を、この大学が自ら払拭していないからである。非人間的性格は、この大学に今なお根強く息づいてしまっているのである。従って、在職中のものは無論のこと、この大学の卒業者の多くも非人間的な校風に染まってしまっているようである。
 たとえば、僕はA大学大学院(“Kansai Area”に位置するので、中核大学“Kyoto University”の影響下にある)に在学中にユング心理学の思想を背景にした詐欺犯罪の被害にあったわけだが、まだその犯罪行為が明らかになる前の4月か5月のことである。Kyoto Universityを定年退官したある教育学の教授が、A大学に特任の教授として任用されていた。この教授自身は、そんなに非人間的なようには見えない。むしろ、立派な人格者のような印象を与える。そして、ユング心理学に対しては批判的な考えをお持ちのようである。ところが、この教授を慕って“Kyoto University”から聴講生としてA大学に押しかけてきた10名近くの大学院生(教育学専攻)たちが、ひどかった。本来、この講義を受講する最も正当な権利を持っているはずのA大学の学生達を脇において、どっかりと居座る。A大学の学生達は、隅っこで小さくなっている。そうして、なんの断りもなしに、この講義をビデオ撮りしだしたのである。僕は、これはおかしいと思った。どうしてもビデオ撮影したいのなら、A大学の学生達に一言断りを入れるのが社会的な常識だろう。また、A大学当局にも事前に申し入れしておかなければならないのではないだろうか。彼らは、薄っぺらなエリート意識をひけらかして、傍若無人に振舞う。僕は、たまらず抗議した。「この講義はA大学で行われている講義です。他大学から受講しに来た人が、どうしてなんの断りもなしに勝手にビデオ撮影するのですか。」教授は、すぐにビデオ撮影をやめさせてくれた。しかし、僕は嫌われただろう。教授は、よそで長年勤め上げてから“Kyoto University”に、定年の年齢に近くなってから移ってこられた。奇跡的に“Kyoto University”の非人間的な伝統的な学風に染まるのを免れていたのかもしれない。自我(ego, Ich)の弱い大学院生のほうは、すっかり非人間的な学風の虜になっていた。このような行動をしたら、他の人たちはどのように受けとめるか、もしかしたら惨めな思いにさせることはないだろうか、ということを大学院生にもなって、しかも教育学専攻なのである、慮ることができないのである。
 Kyoto Universityの校風が非人間的であるのは、第二次世界大戦中に極めて残虐な悪名の高い非人間的な行為を行った“731部隊”(Unit 731)の重要なメンバーの多くを、この大学が送り出したからである。それ以来、非人間的性格がこの大学の校風として、すっかり定着してしまった。誰もこの伝統を変えようとするものがいない。  
 本来ならば、取り潰してしまうべき大学なのである。それが名門大学だといって大きな顔をしているのである。このサイトを御覧になっている世界中の人々に覚えておいていただきたい。この非人間的な“Kyoto University”を、あらゆる国際交流から排除していただきたい。もしも日本に留学を考えている学生がおられたら、この大学を避けたほうがよさそうである。非人間的な伝統的な校風に染まってしまったら、一生の悔いが残る。Kyoto Universityからの留学生の受け入れも拒否したほうがよい。小賢しい顔をしているだろうが、碌な者はいない。とにかく、この大学を国際的に孤立させるように取り計らっていただきたい。自己改革ができないのだから、外圧にでもさらさせないといけないのだ。そして、このサイトの閲覧者の中に、ノーベル賞の選考委員の方がおられたら、たってお願いしたい。Kyoto Universityの研究者には、決してノーベル賞を授与しないようにお願いしたい。たとえ優れた研究の成果に見えたとしても、“Kyoto University”の研究者が行なった研究は、非人間的な実験などに基づく成果であろうからである。非人間的な連中を、のぼせ上がらせないようにしていただきたい。Kyoto Universityの研究者にノーベル賞を授与するとしたら、それは彼らに誤ったメッセージを送ることになってしまう。

宗教系の大学さえ、いんちき宗教に汚染されたか

 A大学の対応に、さっぱり合点がいかない。A大学で、ユング心理学を背景にした詐欺行為の被害に遭ったわけだが、これは、形式的にはA大学が僕に対して行った詐欺犯罪である 。高額な授業料や入学金等を支払った先は、A大学だからである。だからA大学がまず僕に損害賠償して、その上で実行犯であるK教授とO教授に求償するのが筋だと考える。僕への損害賠償金なんか簡単に捻出できるだろう。K教授とO教授を懲戒免職にすればよいわけだ。そうすれば、極めて高額な退職金を支払う必要がなくなる。そんななかから、僕へのわずかな損害賠償金を支払っても、まだまだ多額の金が残るというわけだ。何の研究業績もあげられない教授を二人ばかり処分したところで、どうってことはなかろう。これまで、このような無為徒食の教授を長年にわたって雇用してきたこと自体、不思議である。
 A大学にメールしても、A大学の設立母体である伝統的な巨大な宗教団体に訴えても、返事さえない。いったい、どうなっているのだろう。仏教の教えはもう古い。仏教では何の役にもたたぬ。これからはユング聖人の教えに従うということか。それならば、大学の看板も建学精神も、すべて塗り替えないといけないのではないか。某宗教団体も、さっさと解散したほうがよさそうだ。

「おい。これは困ったぞ。葬式のとき、誰にお経を読んでもらえばいいのかな。」
「決まってまんがな、あんたはん。ユング派の分析家、お経上手に読まはりまっせ。♬ Das ist und sein ahondala mandala jigoku yoitoko ichido ha oide a dokkoisho to kuraa ♬ チーン。」

 A大学に無為徒食の教授が寄生しているのは、その他の教授たちも似たり寄ったりだからである。大方の教授が研究業績をあげることができない。すると当然、劣等感を持つようになる。劣等感の塊みたいな人間は、他人から愛想よく持ち上げられたり胡麻をすられたりすると、そのうれしさが身に沁みる。こうしてK教授もO教授も、他の教授に愛想を振りまきながら、自分にとっては重たすぎる地位を何とか保ってきたのである。他の教授も、K教授やO教授と同じなのである。A大学全体が、そのような教授の寄せ集めなのであって、みんなが“退廃的なぬるま湯”(『ユング心理学批判』「九の矢」http://moriyamag.blogspot.com/2013/12/blog-post_4876.html)にどっぷりと浸かっているわけだ。こうしてA大学は次第に凋んでいくことになる。大学というよりも高等学校の延長と言ったほうがよいだろう。
 研究業績のない能なしの教授ばかりだから、学長も理事も似たり寄ったりである。京都大学(Kyoto University)がユング派(Jungian)を大切にして雇っている。ユング心理学というものは、きっとありがたい教えなのだろう。うちの教祖よりもユング聖人のほうが立派な方かもしれない。と、このように考えたのだろうか。学内で、ユング派による詐欺犯罪が起きても、犯罪者のほうを庇ってしまうのである。主体性も何もない。果たして自我(ego, Ich)はあるのだろうか。結局できることといったら、変な思想を背景にした詐欺犯罪ぐらいになってしまう。そして、その後始末さえも自分でできないのである。
 A大学の設立母体である宗教団体が拠って立つ教えは、大変大らかで人に優しい教えである。その大らかで人に優しい教えであることが、却って裏目に出てしまって、A大学の沈滞につながっているのではないだろうか。葬式のためだけの宗教が大学を設立したところで、そんな大学に社会的意義があるはずがないということなのか。ただ葬式だけのための宗教団体が設立した大学だから、覇気も向上心もない大学になってしまうのである。ただ人の振りを見て真似しているだけの大学になってしまったのである。

影を同化してしまったら

 中国から今年も招聘されそうだった。ただし、中国行きの切符を買うお金を拵えることができたら採用してあげてもいいですよ、ということである。やはり金を捻出することができなかった。中国に行きたいのは、高校生のときから中国の古典と歴史が好きで好きでたまらなかったからであり、ユング心理学といういんちき宗教に中国は汚染されていないのではないかと思われるからである。
 長距離夜行バスに乗っていたら、思いがけない事件が起きて運行中止になった。そうして真夜中に、外国の見知らぬ町に放り出されてしまった。それから次々に起きる、強盗などのすさまじい出来事。こんな状況の中で、まとまった金を作るのは無理な話である。
 外国まで追いかけてきて、やつらは様々な仕掛けを行なっているのではないか、という疑いが常にある。3箇月余り前には、やつらは本当に殺す気なのかどうか、半信半疑なところもあったが、どうやら本気なのかもしれないという気がしてきた。
 自我(ego, Ich)が“影”(元型としての(as an archetype)“影”。“shadow”)を同化(assimilation)してしまうから、このような恐ろしいやつらが出現するのである(「咲き誇るどくだみの花」http://gorom2.blogspot.com/2014/12/blog-post_16.html)。C・G・ユング(Carl Gustav Jung)は、非常に自我の弱い人物であったといわれている。ユング派(Jungian)でさえも、ユングは自我が弱かったといっているのである。自我の弱い人間が、意識化(to become conscious)などという非常に困難な大仕事ができるはずがないではないか。自我が飲み込まれそうになるのである。それが、とりもなおさず、自己のうちの悪なるもの(元型としての影)の自我による同化なのである。
 S・フロイト(Sigmund Freud)は、次のように書いて嘆いている。チューリッヒ学派は、まるで悪童であるかのように振舞っている、と(これは、『精神分析入門』か『続 精神分析入門』(どちらも日本教文社発行の翻訳書)だったと思うが、手元にないので確かめることができない)。チューリッヒ学派とは、C・G・ユングを中心としたグループのことであろう。フロイトが、もと弟子格のユングに対して、恐怖心に似た感情を抱いているのである。
 ユング心理学(Jungian psychology or analytical psychology)における、いわゆる“個性化”(individualization)の過程の初期段階で、“影”の元型が現れてくる。これを意識化したのならば、前述のような恐ろしいユングにはならないであろう。ユングという人物や、その弟子達がすさまじい者達になったのは、元型としての“影”をアシミレート(assimilate)してしまったからである。自我が弱いくせに大それたことを考えるからだ。そもそも、終日薄暗い部屋に閉じ籠って、来る日も来る日も壁に向かって何やら訳の分からないことをひとりぶつぶつと呟いて、それで精神が健全になると考えるのは大間違いである(ユング自身の“個性化”)。
 “個性化”の過程の初期段階で“影”を同化することは、その後の“個性化”のすべての過程を規定することになる。実に、おどろおどろしい過程になってしまう。そして、この過程の最終段階で行き着く先まで規定してしまう。こんなことで、神に出会えるわけがない。実際に出会うのは、神の隣にいます例の恐ろしい超越者なのである。
 この悪魔たちは、人類が今まで見てきた悪魔の中でも最も恐ろしい悪魔である。一見したところ、悪魔らしい顔をしていないということもさることながら、それどころか堂々として落ち着きはらっていて、大人物にさえ見える。それで人を魅了する。そして何よりも、心理学を武器にしてしまったのである(「ミツバチの巣で死神を見た」http://gorom2.blogspot.com/2014/12/blog-post_97.html)。

咲き誇るどくだみの花

咲き誇るどくだみの花

 ユング心理学における個性化の初期段階において、“影”(元型としての(as an archetype)“影”。“shadow”)の元型が現れるわけであるが、これは、自己の内なる悪なるものの意識化(to become conscious)などというような生易しいものではない。意識化ではなく“影”を同化(assimilation)したのである。自我による“影”の同化なのである。まったく、“どうか”している。
 ユング心理学では、人間の自然の流れに反した、ある意味で実に“大きな”出来事が起こる。これは無論、超越的な世界からの賜物(gift)である。その超越的世界なるものがいかがわしいのは、そもそもの“個性化”の出発点に近いところにある、“影”の元型の自我による同化が、恐ろしい胡散臭いものだからである。
 ユング派がいわゆる個性化を果たしたり、ユング心理学の信奉者達がユングファンになった途端に、芸術に対して興味・関心を持ち出すのは実に気持ちが悪い。本来芸術に無縁な者が、突如として芸術好きになるからである。人間の自然な流れとは関係のない次元において、俄かに芸術好きになるから、気持ちが悪い。
 村上春樹や谷川俊太郎や宮崎駿の作品のような偽物が世界中でもてはやされているようでは、真の芸術家は花開かない。真の芸術家は駆逐され潰される。どくだみの花だけが、これ見よがしに咲き誇る(どくだみの花は、本当は美しいのかもしれないけれど)。村上春樹の本を読んだり、宮崎駿のアニメ映画を観たりするということは、とりもなおさず真の芸術の首を締めていることだ、ということを心に留めておいてほしい。芸術不毛の時代がやって来る足音が聞こえないか。そして、村上春樹の本を読んだり、宮崎駿のアニメ映画を見たりすることは、人間でなくなるレッスンを受けているようなものだ。

2014年12月15日月曜日

芸術学講座

課題

第1問
 次の文章は、『ユング心理学批判』の「昔話」(http://moriyamag.blogspot.com/2013/09/blog-post_9.html)から引用したものである。文中の「・・・・しっかりと赤ん坊を抱きとめていた。」に続いて、次のような一文を新たに付け加えたい。「涙にむせびながら赤ん坊に頬ずりする手なし娘。」この一文を付け加えることは、芸術的観点およびその他の観点からみて適切であるか。筆者は、この一文にかなり未練があったらしいが、あえて削除することを選択した。その選択の可否を論ぜよ。

手なし娘という話が好きである。数々の苦難の末に、手なし娘は、赤ん坊を背負って野山をさまよう。喉が渇いて、谷川の水を飲もうとして、背中の赤ん坊がずり落ちて川に落ちそうになる。「あっ」と思って、ない手を伸ばして赤ん坊を抱きとめようとした瞬間に、ないはずの手が生えてきて、しっかりと赤ん坊を抱きとめていた。たれこめた真っ黒な分厚い雲の隙間から、天使の歌声が聞こえてきそうな場面である。その歌は、やはりバッハの管弦楽組曲のアリアがふさわしい。

一文を付け加えると、以下のようになる(青字の箇所)。

手なし娘という話が好きである。数々の苦難の末に、手なし娘は、赤ん坊を背負って野山をさまよう。喉が渇いて、谷川の水を飲もうとして、背中の赤ん坊がずり落ちて川に落ちそうになる。「あっ」と思って、ない手を伸ばして赤ん坊を抱きとめようとした瞬間に、ないはずの手が生えてきて、しっかりと赤ん坊を抱きとめていた。涙にむせびながら赤ん坊に頬ずりする手なし娘。たれこめた真っ黒な分厚い雲の隙間から、天使の歌声が聞こえてきそうな場面である。その歌は、やはりバッハの管弦楽組曲のアリアがふさわしい。

第2問
第1問本文の天使の歌に筆者が選んだのは、バッハの管弦楽組曲(第3番)のアリア(いわゆるG線上のアリア)であったが、その選択を正しいと考えるか。また、この曲の他にどのような曲がふさわしいか。その理由を付して答えよ。

第3問
 次の文章は、当サイトの「Ave Maria」(http://ameblo.jp/dwuu/entry-11915324475.html)からの引用である。この文章には当初、「着せ替え人形がその衣装を次々と替えていくように」という表現が含まれていた。その箇所を掲げると次のようになる(青字の箇所)。

CacciniのAve Maria(カッチーニのアヴェ・マリア)を初めて聞いたとき、とめどなく涙が流れた。今もこの曲を聞くと、涙を抑えることができない。恐ろしいまでの悲惨を見た人だけが書ける音楽であると思う。この曲を作ったのはCacciniであるとするのは、偽りであると言われている。とすれば、この曲は紛れもなく現代人の手になるものだということになる。この曲のすごさは、最初の“Ave Maria”の旋律が着せ替え人形がその衣装を次々と替えていくように変化していく点にある。その変化のあとのひとつひとつが、またすばらしい。おそらくは不遇な人生を送ったであろう作曲者の深い教養と並々ならぬ才能を感じさせる。その教養は、たぶんバロック音楽を究めることによって培われたものであろう。

筆者はこれについては、それほど迷わずに削除することにした。削除したことについて、その可否を論ぜよ。

第4問
 次の文章は、『ユング心理学批判』「平家、海の藻屑となる」(http://moriyamag.blogspot.com/2013/10/blog-post_26.html)からの引用である。

 平家物語、那須与一が扇の的を射切った場面に引き続いて、ひとりの男が与一に射殺される。この段は、教科書には載らないだろう。
 那須与一の快挙に、源平双方とも喝采の声を上げる。戦場は、与一の快挙に酔いしれる。そんなとき、平家のひとりの男が、感極まって船の上で踊りだした。与一は、その男を射殺したのである。戦場は、冷水を浴びせかけられたように、シーンとする。
 何もそこまですることはないではないか、ひどすぎる、と平家方の人々は思っただろう。何か恐怖のようなものを感じた人もいるだろう。俺たちは、もうおしまいなのではないか、と考えた人もいるだろう。
 京都に入り、天下を手中に収めた平家の人々は、貴族たちが愛好する雅の世界にすっかり魅せられてしまった。こんな素晴らしい世界があったのかと夢中になり、自分たちが武士であることを忘れてしまった。貴族になりたい、貴族になりたいと願うようになった。そんな時、東国で源氏の生き残りの頼朝や義経が旗揚げすると、もう対抗する力もなくなっていたのである。
 自分たちが武士であることを忘れ、命をやり取りする場である戦場においてさえ雅を持ち込もうとした平家が滅び去っていくのは当然であると言えよう。那須与一に射殺された哀れな男は、そんな平家の運命を象徴しているのである。(以上、引用)

平家の滅亡の原因を、彼らの芸術的志向性、芸術への嗜好にあると捉えたものである。この文章の第3段落(「何もそこまですることはないではないか」以下。青字の箇所。)に、新たに一文を付け加えたい。どのような文を、どこに加えるのが適当であると考えるか。平家の悲劇性を、より際立たせたい。任意の一文で答えよ。

第5問
 芸術とは何であるか。次の( )内AとBに適当な言葉を入れよ。AもBも一文字とする。むろん正解は、この字数にこだわるものではない。なお、これは音楽に特に、また文学に当て嵌まる。美術には適用しにくいと考える。
心の中を(A)れる(B)。

本講座について
 問題に僕の書いたものを取り上げましたが、これは僕のものが芸術である、芸術として優れているということではありません。こうするより他にしようがなかった、ということにすぎません。
 解答を作成して、次のメールアドレスに送信してください。
Mailto: goromoriyama(at sign)gmail.com
受講料として、2千円申し受けます。入会金等はございません。解答を受け取ったら、振込口座をお知らせします。入金を確認次第、解答と解説をお送りします。採点は、ご自分でなさってください。
 解答と解説を受け取ってから、「こんなくだらないことで、2千円もふんだくるのか。これでは河合隼雄の詐欺より悪質ではないか」と言わないでください。それではスタバかドトールでコーヒーを飲んだ後で店員に、「おい、これは本物のコーヒーなのか。おこげを粉にして淹れただけではないのか」と文句をつけるようなものです。そう言われたときの店員の立場に立って、ようく考えてみてください。すっかりどぎまぎして困ってしまって、もう首でも吊って死んでしまおうかなあ、と考えるでしょう。
僕は実は、個人がこのようなオンライン講座を開設してもよいのかどうか分かりません。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。メールでお願いします。
Mailto: goromoriyama(at sign)gmail.com

薔薇ならば花開かない?

 Hayao Kawaiをはじめユング派の連中が芸術や文学について訳の分からない講釈をしている。ユングファン・Kawaiファンの村上春樹(Haruki Murakami)のくだらない作品が世界中で売れているそうだ。僕はこのような状況に抗議するために、僕が20歳頃から作り貯めてきた、音楽と文学領域の作品を敢えて発表しないことを決意した(『ユング心理学批判』「幻想の黒いオルフェ」http://moriyamag.blogspot.com/2013/11/blog-post_2028.html)。ユンギアンという偽物の芸術愛好家達に、どうもつけ狙われているらしいと感じたことも、その一因である。こんなことになったら、もうおしまいだと思った。
 文学とはとてもいえない村上春樹の作品が世界中で売れている状況で僕がどんなによい作品を作って発表しても、無視されて顧みられることはないだろう。最小限の生活費さえ稼ぐのも、ままならないことになるだろう。だから、作曲家と歌手になる希望を断念した。音楽の領域のほうが文学よりも精彩がある、と自分では思っている。
 歌は保育園児の頃から、ずっと誉められ続けてきた。文章は、高校生の頃から誉められるようになった。「文章がうまい」とか「才能がある」とかと言われた。これは中学生時代に、世界文学全集とか日本文学全集とかを読み漁っていたからではないかと思う。好きな作家は、アンドレ・ジイド(André Gide)、ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)、堀辰雄、有島武郎である。大学生のとき、ある科目が全然分からなかった。それで試験のときに、それこそ口から出まかせの出鱈目の答案を書いて提出した。合格点には程遠い代物である。ところが返ってきた成績表には、ぎりぎりの合格であることを示す“可”の評価とともに、次のようなコメントが付されていた。「才能があるようなので、可をあげます。才は知識の裏づけがあって初めて生きるものです。心せられよ。」僕はこの戒めを、今に至っても守っていないようである。知識が乏しく狭い、ということは僕の大きな弱点なのに。
 3か月ちょっと前に、日本から辛うじて持ってきた世界の昔話の英語とドイツ語の原書数冊、英語とドイツ語の紙とCD版の辞書、そして大切にしていたフォーレ(Gabriel Fauré)の「夢のあとに」などが収録されているCD数枚を手放す羽目になった。その後、一生のうちに果たして経験することがあるだろうかと思われるような、すさまじいことが立て続けに起こった。
 薔薇ならば花開かん。もしも僕に幾許かの才能があるとしても、僕は自分の才能について確信を抱くことができなかった。そして、薔薇かどうかは分からないけれども、ともかく花が開く前に、まだ蕾の状態のときに摘み取られてしまった。

ミツバチの巣で死神を見た

 ミツバチには、一匹一匹個性があるのかもしれない。しかし、われわれにはみんな同じミツバチに見える。それぞれの個性を認めることができないのである。スイスのチューリッヒにあるとかいうユング研究所(Jung Institute)を訪れてみるがいい。たぶん建物内部には入れてもらえないだろうけれども。彼らは秘密主義だからである。運よく建物の中に入ることができたとして、そこにいる人々を見渡してみると、みんな同じ顔をしていることだろう。同じような物腰、同じような風貌、同じような態度をしていることだろう。同じようなことを考え、同じようなことを感じている、それが彼らJungianである。おっと、これはミツバチの巣の中に迷い込んでしまったかな、と君は錯覚するかもしれない。社会の構成員がみんな同じ顔をして、同じようなことを感じ、同じようなことを考えている。こんな社会にいて楽しいだろうか。人々は幸福に見放されてしまうのではないだろうか。周りの人がみんな同じ顔をして、同じ表情で、考えていることも感じていることもみんな同じ。冗談ではない。これでは、人と人とのコミュニケーションも、環境さえも消えてなくなったのと同じことなのである。今、会っている人と昨日会っていた人と区別がつかない。確かか名前は違っていたと思うが。そう言えば一昨日、会っていた人も同じような顔、表情をしていて言っていることも同じだった。その前の日も、またその前の日も、やはりそうだった。明日も、あさっても同じことだろう。これでは、たまらん。俺が会いたいのは人間だ。ロボットではない、と周囲を見渡してみると、やはりみんな同じ顔で同じ表情をしている。これでは広い荒野で、ただ一人ぽつんと立っているのと同じではないか。環境が消失してしまったのと同じではないか。集合的無意識だの、元型だのと訳の分からないありもしない観念を根本に据えるから、こんなことになってしまうのである。ユング心理学が社会や国家を席巻したとき、人は環境の消失にあえがなければならなくなる。
 超越的世界からすばらしい贈り物(gift)をもらい受けたのならば、どこか世間の片隅でひっそりと暮らしておればよいのだ。それを、すさまじいばかりの出世欲(desire to succeed)や権力欲(power hunger)をもって社会に進出しようとし、人を支配しコントロールしようとするから、おかしなことになってしまうのである。超越的世界からの贈り物を現世で利用しようとすれば、超越的世界と現実世界とが融合してしまう。これは、まさしく狂気の世界である。彼らは社会で生きていくにふさわしくない人々である。彼らが社会でのさばることは、社会にとっての害悪であり人類にとっての災厄なのである。
 彼らはみんな、ゆったりとした落ち着いた態度や物腰で人を魅了し、もしかしたらこの人は大人物ではないかと人々に誤解を与えながら、そのくせ極めて反社会的で非人間的な人々である。
 ユンギアン(Jungian)はユンギアンになったとき、芸術や文化について門外漢であるにもかかわらず、俄かに芸術や文化に興味を持ち出す。これが不思議でならないところなのである。そして芸術や文学に関する訳の分からない批評をやりだす。このユング派の奇矯な批評を、御尤も御尤もとありがたそうに受け取っているやつらがたくさんいるという事実が恐ろしい。河合隼雄(Hayao Kawai)ファンの村上春樹(Haruki Murakami)の愛読者が、世界中にたくさんいることも背筋が寒くなるような気がする。僕は村上春樹を読んだことがないが、また今後も読むつもりはないが、一度ラジオで誰かが村上春樹の作品を朗読しているのを聞いたことがある。何かの作品の数行分である。虫唾が走った。こんなひどいものが世界中でもてはやされている、だから虫唾が走ったのである。言っておくが、これは文学ではない。ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)の作品が、文学といえないのと同じことである。ノーベル賞の選考委員も人間だから、時として過ちを犯すこともあろう。そうすると村上ファンという連中は、文学とは何かを知らない連中ばかりだということになる。本来、文学や芸術とは縁もゆかりもない連中が、ユング派や村上春樹や谷川俊太郎(Shuntaro tanikawa)や宮崎駿(Hayao Miyazaki)などにのせられて、間違った観念を植えつけられてしまったのだろう。音楽や美術の世界においても、文学と似たようなことが起きているのだろうか。そうなったら、もうおしまいである。芸術も文学も衰退の一途をたどり、やがては消滅してしまうだろう。ユンギアン(Jungian)やユングファンの連中が芸術や文学を理解したり、それを創造したりすることは不可能なのである。この点を蔑ろにして忘れてもらっては困る。 
 Hayao Kawaiは、ある意味では強力な武器をもって出世の階段を駆け上がっていった。その武器とは臨床心理学者(a clinical psychologist)という肩書きである。心理学でもないユング心理学(Jungian psychology)に立脚しながら、臨床心理学者でございと公言するのもおかしな話だが、とにかくKawaiは、このいんちきな肩書きを前面におしたてて自らのすさまじいばかりの出世欲・権力欲を満たそうとした。人は誰でも今話している相手が著名な心理学者だったりすると、多かれ少なかれ緊張を覚える。もしかしたら、自分の内心に湧きあがっている雑念や恥ずかしい妄想的な気分を相手に見抜かれているのではないか、と考えてしまう。これは感じて当たり前のことなのだけれども、そのように感じることによって緊張し不安になる。Kawaiは、人が感じるこの緊張や不安を最大限利用して、自己の出世を図り権力を握ろうとした。もちろんKawaiは、そんなものを利用する意図などなかったと抗弁するだろう。しかし、少なくとも結果的にはこれを利用していたのである。ある出版社のPR誌でKawaiは書いている。確か岩波書店の『図書』ではなかったかと思う。Kawaiは、よく人から「心の中を見抜かれているようで恐い」と言われるそうである。これはKawaiが、臨床心理学者の肩書きを持っているせいである。これに対してKawaiは、いくら心理学者であっても人の心の中なんか分からない、というような答えをしたそうだが、当然であろう。心理学者ならば、誰でもこのように答えるはずである。そしてそのうちに、「おっ、これはいけるぞ。なかなか強力な武器になるなあ。へっへっへ。」と、あちこちで使い出した。そして、それをカムフラージュ(camouflage)するのが、例のKawaiのヘラヘラ笑いだったのである。  
 Kawaiの攻撃用の武器の餌食になったのが、小泉純一郎(元首相。Jun’ichiro Koizumi)であり遠山敦子(元文相。Atsuko Toyama)その他であった。彼らはKawaiを文化庁長官に起用し、あろうことか日本の子ども全員に配布される道徳の副教材「心のノート」を作成させた。Kawaiを立派な人物だと誤解するということは、Koizumiはそれほどまでに心に不安を抱えていたのか。確かに剽軽な人気者(『ユング心理学批判』「考える力を育てる」http://moriyamag.blogspot.com/2013/12/blog-post_6483.html)というものは、心に不安を抱えているから、そうなるのである。自分の心の空白を埋めたい。そのためには、どうしても他の人から注目され人気者にならなければならない、という強迫観念のような固定観念があるからである。Koizumiが首相としては珍しく剽軽で人気者であった理由である。そのKoizumiや遠山敦子のような愚か者がKawaiを引き上げたのである。さらに文部科学省(Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology)の役人、京都大学(Kyoto University)のHayao KawaiやToshio Kawai(河合俊雄)の人事に関与した教授たちもKawaiの出世に手を貸した。ここに挙げた人々は、多かれ少なかれ心のうちに不安と恐れとを抱いていたのだろう。Kawaiに心の中を見抜かれているのではないか、という不安と恐れである。その不安と恐れが重要な判断を誤らせたのである。
 攻撃用の武器は防御用の武器にもなりうる。Kawaiは臨床心理学者の肩書きという目くらましを、自分の性格的な致命的な欠陥をカムフラージュすることにも用いた。Kawaiという人物がテレビやラジオに登場していた様子を思い返してみてほしい。とにかく冷たい。氷のようである。南極でブリザードに遭ってしまったかのようである。生まれて以来、人に愛されたことも可愛がられたことも一度もなかったのではないかと思わせるほどである。いくらヘラヘラ、何にもないのにひとりで笑っていても、Kawaiの冷酷さに気がつかない人の目は、よほどの節穴である。そんな目は、くり抜いて銀紙でも張っておけばよい。Kawaiが高校に勤めていたときには、教え子が1000人か2000人、あるいはそれ以上いたかもしれないのに、Kawaiが民間から文化庁長官に就任し、道徳の副教材「心のノート」まで作成し、タレント顔負けの有名人になったにもかかわらず、教え子の誰ひとりとしてKawaiの思い出話を語ろうとする人が現れてこないのである。余程、冷酷な人物であったと考えられる。そしてこの冷酷な性格は、ユング心理学における、いわゆる“個性化”(individualization)を果たした後も変わらなかった。むしろ、その冷酷さに拍車をかけて、より厳しいものとなったようである。
 僕はA大学で、ユング派を背景にした詐欺犯罪の被害に遭った。その詐欺の実行犯であったK教授は、その時より若かった頃には、少々神経質そうなところはあるにしても、理想化肌で人間的であったように見受けられて好感をもつことができた。ところが、詐欺犯罪に加担したときには、既にユング心理学、Hayao Kawaiにかぶれてしまっていたのだが、印象ががらりと変わっていた。神経質そうなところはなくなり、落ち着いて堂々としているのである。そして、ちょっと見には、優しく暖かそうである。もしもK教授に、仕事か何かのことで愚痴をこぼしたとする。すると、実に模範的な答えが返ってくるであろう。しかし、その答えを聞いたとて、僕の気分が楽になることはないであろう。何故なら、K教授のアドバイスなり答えが僕に対する配慮とか思いやりとか元気になってほしいという願いから出たものではないからである。K教授の頭の中では、このようなときには、このようなことを言うべきである、というようなことしか考えていない。今、現にここに存在しているこの僕という人間は、どこか遥かかなたに遠のいてしまっているようなのである。心の中にある観念があり、その観念は集合的無意識とか元型から来たものであり、その観念が指し示す理想像とか指針にすべて従う、というのがユンギアンとかユングかぶれのした人々の行動様式なのである。だから、非常に冷たい。うわべは温かそうな態度を演じることができても、とにかく冷たいのである。現実との接触がないのである。このような人とは、友達になりたくない。お近づきになるのも御免である。K教授のような人と親しくなれば、表面的には優しそうな顔をして、気がついてみると手ひどい目に遭わされるのである。K教授の印象ががらりと変わったのは、ユングかぶれ、Kawaiかぶれしたからなのだけれども、考えてみればHayao Kawaiの態度・物腰にそっくりになっている。表情や顔つきも似てきている。お気の毒なことだが、K教授もミツバチの仲間入りをされたようである。人類に共通している心の層(collective unconscious)などとありもしない概念を基本に据えるから、このようなすさまじいことになってしまうのである。集合的無意識(または普遍的無意識)と名づけたものは、C・G・ユング(Carl Gustav Jung)の個人的無意識にすぎないのではないのか。
 ユング派は、彼ら自身と外界の現実との間に薄い被膜(covering)のようなもので隔てられているようである。このヴェール(veil)のようなものは、鋭い刃物も通さない。人の心を傷つけようとする意図からでた、辛辣で意地の悪い言葉も通さない。そのため、彼らは傷つかない。軽くて丈夫な鎧を着ているからである。このヴェールは、集合的無意識(collective unconscious)とか元型(archetype)とかという妄想体系から招来したものである。妄想体系からもらったものを鎧にしている以上、当然、外界から遮断されることになる。彼らは、人と本当の意味で交わることができない。人が辛苦して築き上げた文化や芸術とも無縁である。それなのに彼らはユンギアンになった途端に、芸術や文化に並々ならぬ関心を寄せるようになる。実に不思議ではないか。彼らが被っているヴェールの出所は、その妄想体系である。その妄想体系では、芸術の創造の源はこの妄想体系であると、自分勝手に申し立てている。しかし、やはり違うのである。この妄想体系は、芸術の創造の源泉ではない。
 ユング心理学(Jungian psychology or analytical psychology)においては、いわゆる“個性化”(individualization)を果たすと、気分的に楽になるようである。それは、“個性化”の最終段階で出現してくる“マンダラ”(mandala)(元型としての“自己”(self, Selbst))の不思議な力による。この“マンダラ”が不思議な治癒力を有するのは、超越的な世界とつながりがあるからである。そして“マンダラ”にはまた、S・フロイト(Sigmund Freud)の心理学(精神分析。psychoanalysis, psychoanalyse)の概念である“超自我”(superego, Über-Ich)の厳しさを引き下げ、緩和する効果があるようである。これは大変結構なことのように見える。しかし、これは諸刃の剣(two-edged blade)である。超自我の厳しさを弱めることは、それだけならよいことなのかもしれないが、ユング心理学における個性化の場合は、道徳感覚(sense of  morality)、道徳意識(moral consciousness)にまでも損傷を与え、場合によっては破壊し、ぼろぼろにしてしまうのである。従って、彼らは反社会的(antisocial)である。そして非人間的(inhuman)である。一見、堂々とした態度で人を魅了し、すさまじい権力欲や支配欲を示し、それでいながら陰でコソコソと悪事を働く人にとってうってつけの心理学なのである。ヤクザな人間が飛びつく心理学なのである。悪魔の心理学(devil's psychology)(psychology of the devil, by the devil, and for the devil)と呼ぶ所以である。

WAKA(2)ー磐余の池に鳴く鴨ー

磐余の池に鳴く鴨

百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

mo-mo-zu-to-u, i-wa-re-no-i-ke-ni, na-ku-ka-mo-o, kyo-u-no-mi-mi-te-ya, ku-mo-ga-ku-ri-na-n

 作者・大津皇子(Ohtsu no Miko)は、前回のArima no Mikoと同様、謀反(coup)の罪により死を賜った。Arima no Mikoの“i-wa-shi-ro-no”の歌が詠まれたときとArima no Mikoの死との間には、かなりの時間の隔たりがあるが、この Ohtsu no Miko の場合は、死が切迫している。

 “mo-mo-zu-to-u”は、枕詞(poetic epithets)である。枕詞は、相撲(sumo wrestling)で言えば“呼び出し”(a caller)の役割を果たしている。ある言葉を呼び出すために、そのある言葉の前に置かれる。例えば、“旅”(travel)という言葉を呼び出すために、“草枕”(sleeping on grass in an open field)をまず置く。そのあとに、“旅”(travel)が来る。旅館もホテルもなかった時代に旅に出れば、どうしても草を結んで、それを枕(a pillow)がわりにしなければならないことになる。それで“草枕旅”(ku-sa-ma-ku-ra)-(ta-bi)となるわけである。この歌の“mo-mo-zu-to-u”は、第2句の“i-wa-re”(地名)にかかる枕詞(poetic epithets)である。但し、この場合は“i”という音と関連があるからにすぎない。“mo-mo-zu-to-u”という語と“i-wa-re”という語の間には意味上の関連性がないのである。本来、どの枕詞も歌の中で意味を有してはいない。歌の中で使用される枕詞というものは、ただ単に語調を整えるためだけのものである。それにもかかわらず、そのような枕詞によって何らかのイメージ、何らかの意味合いを喚起されてしまうということは致し方ないことではなかろうか。
 本来ならば、このようなことをすることは好ましくないことかもしれない。しかし敢えて、この“mo-mo-zu-to-u”という枕詞の意味と語調と、この歌全体との関わりを考えてみなければならない。このようなことをするのは、本来ならその意味を考えないことになっているはずの枕詞でありながら、この“mo-mo-zu-to-u”という枕詞は、この歌の中で意味上においても重要な位置を占めていると考えるからである。いわば日本の伝統的な人形劇の黒子(a kuroko。a stage assistant dressed in black)が、一躍主役または主役の相手役に躍り出ているのである。
 “mo-mo-zu-to-u”の“mo-mo”は、数字の百(a hundred)の古い言い方である。百は、また、単に数が多いときにも使われる。その場合の“mo-mo”(a hundred)は、“lots of”の意味になる。“zu-to-u”は動詞であるが、元の形は“tsu-ta-u”である。雨の日、たとえば木の枝が垂れ下がっているとすると、雨の滴が枝を伝って、ぽたぽたと落ちている。滴が枝に沿って移動する、それが“tsu-ta-u”である(go along)。“tsu-ta-u”が“zu-to-u”と変化しているのは、直前に“mo-mo”という語があるのと発音のしやすさから変化したものである。“zu-to-u”は、実際には“zu-toh”と発音する。この場合、“toh”は2音となる。
 “mo-mo-zu-to-u”の本来の意味は、たくさんのところを伝って(go along)行って、遠いところに至る、という意味である。“mo-mo-zu-to-u”は “i-wa-re”にかかる、と先ほど述べたが、実質的には“i-wa-re-no-i-ke”の“i-ke”(pond)にかかると見るべきだろう。“no”は、所有を表す助詞(a postpositional particle)。“i-wa-re-no-i-ke”は、“i-wa-re”という地にある“i-ke”(pond)という意味だからである(iware pond)。
 そうすると、“mo-mo-zu-to-u, i-wa-re-no-i-ke”からどのようなイメージが喚起されるだろうか。雨が降り、雨水が寄せ集まって細い小さな流れとなる。その水の流れが岩間を伝い(go along)、木々の根を伝い(go along)して“i-wa-re-no-i-ke”(iware pond)に注ぎ込む。それは恰も川が山間を伝い、平野を伝って、やがてやがて大海に流れ込むようなものである。そして、それは命を育む水の流れである。この歌の第3句目に、“ka-mo”(wild ducks)という言葉が現れるが、鴨(wild ducks)はこの場合、生の象徴である。命を育む水の流れは、“i-wa-re-no-i-ke”(iware pond)に注ぎ込んで鴨( wild ducks )の命を支える。
  “i-wa-re-no-i-ke-ni”の最後の“ni”は、場所を指定する助詞(a postpositional particle)である。

mo-mo-zu-to-u, i-wa-re-no-i-ke-ni, na-ku-ka-mo-o, kyo-u-no-mi-mi-te-ya, ku-mo-ga-ku-ri-na-n

 3句目の“na-ku-ka-mo-o”の“na-ku”は、“sing or quack”である。“ka-mo”は、(wild ducks)である。“i-wa-re-no-i-ke”で鴨が鳴いているのである。おそらくは数十羽の鴨がけたたましく鳴いているのではないだろうか。“wild ducks”は、この歌では重要な役割を果たしている。“ka-mo”に付く句末の “o”は、動作の対象を示す助詞(a postpositional particle)である。この動作は、第4句にある“mi-ru”(see)という動作である。動作(see)の対象は、“wild ducks”である。つまり、鳴いている“wild ducks”を見るのである。
 第4句。“kyo-u-no-mi-mi-te-ya”の“kyo-u”は、today。実際の発音は、“kyoh”となり、これで2音。“no-mi”は、only。今日だけ、という意味になる。“mi-te-ya”の“mi-te”の元の形は“mi-ru”で、“see”の意味である。“mi-te”と変化して、助詞の“ya”が付くと、“見て、そして”という意味になる。「鴨を見て、そして」ということになる。“ya”は単に調子を整える語である。
 最後の句(第5句目)の“ku-mo-ga-ku-ri-na-n”の、“ku-mo-ga-ku-ri”の元の形は、“ku-mo-ga-ku-ru”である。表面上の意味は、“hide behind a cloud”であるが、死ぬことを表している。“na-n”は、助動詞(an auxiliary verb)が二つ合わさったものだが、意志を表しているとみてよいだろう。“ku-mo-ga-ku-ri-na-n”で、「さてと、死の国へ旅立つとするか」というような意味になるだろう。
 一首全体の意味は、
磐余の池で今日も鴨たちが鳴いている。ちょっと騒がしいが、かわいいものだ。鴨の鳴き声を聞くのも今日が最後だ。さようなら。それでは、死の国へと旅立つとするか(ここでは、“mo-mo-zu-to-u”という枕詞を無視して現代語に直した)。
ということになろうかと思う。
 そこで、この“waka”を鑑賞するにあたっては、先程来、くどくどと述べてきた“mo-mo-zu-to-u”という枕詞の重要性を度外視するわけにはいかなくなる。

mo-mo-zu-to-u, i-wa-re-no-i-ke-ni, na-ku-ka-mo-o

 前半部の3句の5・7・5である。この部分は、ゆっくりと、それこそ一字一句噛みしめるように読んだのでは駄目である。ある程度スピード感をもって、流れるように読み上げないといけないと思う。特に、“mo-mo-zu-to-u”の“to-u”を、“toh”と発音することを忘れないでほしい。“mo-mo-zu-to-u”は、どこか遠くからやって来る、ということである。何がやって来るのか。無論、流れである。そして、それは水の流れであり、生命の流れであるといってもよいだろう。さらに、その生を象徴しているのが磐余の池で鳴き騒いでいる鴨である。この上句5・7・5を口の中で唱えていると、流れを感じないだろうか。それは生の流れであろう。

kyo-u-no-mi-mi-te-ya, ku-mo-ga-ku-ri-na-n

 下の句(後半部)の7・7である。生の流れに身を任せていたかにみえた作者は、ここで、はっとわれにかえる。このことは、下の句7・7の冒頭にある“ky”という強い子音によって示されている。そうだ、俺はこれから死出の旅へ出なければならないのだ。そして、その時に突如として湧き上がる生きているものへの慈しみ、そしていとおしさ。人はみんな死を目前にして、このようなことを感じるのだろうか。


WAKA(1)ー真幸くあらばまたかへり見むー
http://gorom2.blogspot.my/2014/12/waka1.html

WAKA(3)ーあかとき露にー
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3.html

WAKA(3)について
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3_2.html

WAKA(4)-何しか来けむ-
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/oceanocean-and-forested.html

オムレツ

削除した。
ユング心理学のアニマの元型について、厳密には女性像ではないという理解に達したので、この記事をあげておく必要がなくなった。
アニマは女性像ではない
http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post.html

Ave Maria

 CacciniのAve Maria(カッチーニのアヴェ・マリア)を初めて聞いたとき、とめどなく涙が流れた。今もこの曲を聞くと、涙を抑えることができない。恐ろしいまでの悲惨を見た人だけが書ける音楽であると思う。この曲を作ったのはCacciniであるとするのは、偽りであると言われている。とすれば、この曲は紛れもなく現代人の手になるものだということになる。この曲のすごさは、最初の“Ave Maria”の旋律が次々と変化していく点にある。その変化のあとのひとつひとつが、またすばらしい。おそらくは不遇な人生を送ったであろう作曲者の深い教養と並々ならぬ才能を感じさせる。その教養は、たぶんバロック音楽を究めることによって培われたものであろう。
 この曲にはAve Mariaだけではなく、他の要素の内容もあるように思われる。“miserere nobis”(憐れみたまえ)である。この曲のあとに、他の曲も聞きたくなった。Vivaldi(ヴィヴァルディ)の“Gloria”(グローリア)の第8曲、“Domine Deus, Agnus Dei”(神なる主、神の子羊)である。アルトとコーラスが“miserere nobis”(憐れみたまえ)と切々と歌う。そして、オーケストラの伴奏は雪が降る情景を思い起こさせる。心の中に、しんしんと降り続く雪。南国イタリアでも雪が降るのだろうか。
 このAve Mariaの作曲者がVivaldiの音楽が好きだったかどうかは分からない。しかし僕の勝手な想像だけれども、両者には相通じ合うものがあるように思われてしかたがないのである。
  CacciniのAve Mariaも、降りしきる雪の中で歌われるものと仮定したらどうだろうか。最初は、ちょっと無理があるかなあ、という気がした。しかし、よくよくこの曲に耳を傾けていると、結構ぴったりするではないかという気にもなってきた。降りしきる雪の中で、暗い夜空を見上げる。そして聖母マリアの姿を探す。作曲者には見えていたのだろうか。マリア様の顔が。

2014年12月14日日曜日

WAKA(1)ー真幸くあらばまたかへり見むー

真幸くあらばまたかへり見む

磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまたかへり見む
i-wa-shi-ro-no, ha-ma-ma-tsu-ga-e-o, hi-ki-mu-su-bi, ma-sa-ki-ku-a-ra-ba, ma-ta-ka-e-ri-mi-n 

 磐代は、和歌山県日高郡南部町。その浜に、一本の松の木が生えていた。作者・有間皇子(Arima no Miko)(The word “miko” or “ohji” means prince.)は、都に上る途上にある。謀反(coup)の嫌疑をかけられていた。
 磐代の浜松よ。お前を見ていると、その、すっくと立っている姿が俺に力と勇気を与えてくれる。それでは、お前の枝を結んでおくことにしよう。都に上り、俺の釈明が通って無事この道を引き返して戻ってくることになったなら、再びお前を振り返って見ようではないか、というのがこの歌全体の意味である。
 しかし、Arima no Mikoの釈明は聞き届けられなかった。中大兄皇子(Nakanoôe no Miko)に「何故に謀反なんか企てたのか」と尋問されて、有間皇子は次のように答えた。「天と赤兄のみが知っている。私は何も知らない」と。赤兄とは、蘇我赤兄(Soga no Akae)。この事件の密告者である。658年、Arima no Mikoは刑場の露と消えた。
 僕は、Arima no Mikoは無実であったと信じる。この歌を、口の中で転がすように発音してみる。どこか雄雄しさが感じられないだろうか。寸分も悪びれたところがない。  
 waka(tanka or uta)(thirty-one syllabled verse)は、5・7・5・7・7の計31音で構成される。haikuは、5・7・5の17音だが、tanka(waka)はhaikuよりも少し音数が多い。haikuは、叙景(情景を詠む)に優れ、tankaは叙情(人の心・心情を詠む)に優れている。wakaの最古の集が万葉集(Man'yosyu)である。7世紀後半から9世紀頃に成立したと考えられている。編者はOtomo no Yakamochiである。The Tale of Genjiが世界最古の小説ならば、Man'yosyuは世界で最も古いanthologyのひとつと言ってもよいだろう。

i-wa-shi-ro-no, ha-ma-ma-tsu-ga-e-o, hi-ki-mu-su-bi, ma-sa-ki-ku-a-ra-ba, ma-ta-ka-e-ri-mi-n

 “i-wa-shi-ro”は、地名である。“no”は、英語の“of”に相当するが、前後の語の順序が逆である。Tom's bookの“'s”に相当する。
 “ha-ma-ma-tsu”は、seashoreに生えているpine treeである。“ga”は“no”と同じく所有を表す助詞であるが古めかしい。現在では特定の表現にのみ使われる。“e”はbranchのこと。“o”は、その直前の語(つまり、branches of pine tree)が目的語であることを示す助詞である。
 “hi-ki-mu-su-bi”は動詞であるが、元の形(基本形)は“hi-ki-mu-su-bu”である。意味は、動詞のtie。“hi-ki-mu-su-bi”という形になると、“引き結んで、そして”といういような意味合いになる。
 “ma-sa-ki-ku-a-ra-ba”は、with luckの意味であるが、現在ではこの表現は使われない。「運がよければ宝くじに当たるだろう」とか「運がよけりゃ何とかなるさ」といった軽いニュアンスのものではない。やるべきことはすべてやり、それで天が味方してくれるならば、というような重々しい感じの表現である。。
 “ma-ta”は、againという意味である。“ka-e-ri-mi-n”は、I want to turn to face (the pine tree).という意味になる。  

 Wakaも詩(verse)と同様、言葉の意味と響きが織りなす世界である。口の中で転がすように唱えていると、そこにリズムが生まれ旋律が生じる。音楽の世界が開けてくるのである。
 日本語の母音は、“a”、“i”、“u”、“e”、“o”の五つである。母音もひとつの音であるが、それに子音“k”などがくっついて、ひとつの音になる。“ka”、“ki”、“ku”、“ke”、“ko”は、それぞれひとつに音である。“shi”“chi”“tsu”“sya”“cha”のような音もある。これらも、ひとつの音である。また、“n”もひとつの音である。
 このwakaの前半の5・7・5の部分、つまりi-wa-shi-ro-no, ha-ma-ma-tsu-ga-e-o, hi-ki-mu-su-biの箇所は、どこか、くぐもったような印象を与える。ところが後半部の7・7、つまりma-sa-ki-ku-a-ra-ba, ma-ta-ka-e-ri-mi-nの箇所になると、その声調が大きく転換する。音楽で言えば、転調がなされたようなものである。その原因は、後半部7・7の母音に“a”の音が多いからだと思う。口を大きく開ける“a”の音は明るく力強さを感じさせる。その“a”の音の多用が、作者の力強い凛とした態度を感じさせる。これは無論のことだが、前半部がやや俯き加減でくぐもった印象を与えているからこそ、後半部の“a”の音の多用が生きてくるのである。
 紫式部(Murasaki-shikibu)はThe Tale of Genjiで、たくさんの歌を詠んでいるが、紫式部は歌人として特に傑出しているとは認められていない。そのひとつひとつの歌と物語との内容の関連という点では見るべき点はあるけれども、それぞれの歌の声調という点では、いまひとつかなあ、という気がする。紫式部が大歌人として認められていない所以だろう。
 この歌(waka)については、後世の人がArima no Mikoに仮託して作歌したものだとする説がある。これはインターネットで調べた。この説が正しいとすると、Arima no Mikoは無罪であろうとする推定が根底から崩れることになるかもしれない。それならば、一体誰がこの歌を詠んだのか。この歌の声調の大らかさ雄雄しさから考えると、僕には柿本人麻呂(Kakinomoto Hitomaro)しか考えられないのである。ところが、Hitomaroは歌の名所になっているこの地を訪れて、この歌と作者を偲んで歌を詠んでいる。ということは、Hitomaroではありえないことになる。すると誰なのだろう。無名の歌人か。これほど堂々とした男らしい歌を詠める人が、無名の歌人であるとは。どうして無名のままで終わったのだろう。こういう風にとつおいつ考えていると、やはり、これは紛れもなくArima no Miko自身が詠んだ歌である、と結論づけたくなる。
 この稿を書くにあたって、大きな影響を受けたのが、若かった頃に読み親しんだ斎藤茂吉著『万葉秀歌』である。僕は只今、外国に逃亡中なので、とにかく参考文献や参考資料が手元にないのが苦しいところである。だから、たよりになるのは、“青空文庫”からダウンロードさせてもらった茂吉の『万葉秀歌』のみである。斎藤茂吉は僕にとって、歌人としてよりも『万葉秀歌』の著者としてのほうが大きな存在である。御本人としては、はなはだ不本意で残念に思われるかもしれないけれども。


WAKA(2)ー磐余の池に鳴く鴨ー
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WAKA(3)ーあかとき露にー
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WAKA(3)について
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WAKA(4)-何しか来けむ-
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