2014年12月16日火曜日

影を同化してしまったら

 中国から今年も招聘されそうだった。ただし、中国行きの切符を買うお金を拵えることができたら採用してあげてもいいですよ、ということである。やはり金を捻出することができなかった。中国に行きたいのは、高校生のときから中国の古典と歴史が好きで好きでたまらなかったからであり、ユング心理学といういんちき宗教に中国は汚染されていないのではないかと思われるからである。
 長距離夜行バスに乗っていたら、思いがけない事件が起きて運行中止になった。そうして真夜中に、外国の見知らぬ町に放り出されてしまった。それから次々に起きる、強盗などのすさまじい出来事。こんな状況の中で、まとまった金を作るのは無理な話である。
 外国まで追いかけてきて、やつらは様々な仕掛けを行なっているのではないか、という疑いが常にある。3箇月余り前には、やつらは本当に殺す気なのかどうか、半信半疑なところもあったが、どうやら本気なのかもしれないという気がしてきた。
 自我(ego, Ich)が“影”(元型としての(as an archetype)“影”。“shadow”)を同化(assimilation)してしまうから、このような恐ろしいやつらが出現するのである(「咲き誇るどくだみの花」http://gorom2.blogspot.com/2014/12/blog-post_16.html)。C・G・ユング(Carl Gustav Jung)は、非常に自我の弱い人物であったといわれている。ユング派(Jungian)でさえも、ユングは自我が弱かったといっているのである。自我の弱い人間が、意識化(to become conscious)などという非常に困難な大仕事ができるはずがないではないか。自我が飲み込まれそうになるのである。それが、とりもなおさず、自己のうちの悪なるもの(元型としての影)の自我による同化なのである。
 S・フロイト(Sigmund Freud)は、次のように書いて嘆いている。チューリッヒ学派は、まるで悪童であるかのように振舞っている、と(これは、『精神分析入門』か『続 精神分析入門』(どちらも日本教文社発行の翻訳書)だったと思うが、手元にないので確かめることができない)。チューリッヒ学派とは、C・G・ユングを中心としたグループのことであろう。フロイトが、もと弟子格のユングに対して、恐怖心に似た感情を抱いているのである。
 ユング心理学(Jungian psychology or analytical psychology)における、いわゆる“個性化”(individualization)の過程の初期段階で、“影”の元型が現れてくる。これを意識化したのならば、前述のような恐ろしいユングにはならないであろう。ユングという人物や、その弟子達がすさまじい者達になったのは、元型としての“影”をアシミレート(assimilate)してしまったからである。自我が弱いくせに大それたことを考えるからだ。そもそも、終日薄暗い部屋に閉じ籠って、来る日も来る日も壁に向かって何やら訳の分からないことをひとりぶつぶつと呟いて、それで精神が健全になると考えるのは大間違いである(ユング自身の“個性化”)。
 “個性化”の過程の初期段階で“影”を同化することは、その後の“個性化”のすべての過程を規定することになる。実に、おどろおどろしい過程になってしまう。そして、この過程の最終段階で行き着く先まで規定してしまう。こんなことで、神に出会えるわけがない。実際に出会うのは、神の隣にいます例の恐ろしい超越者なのである。
 この悪魔たちは、人類が今まで見てきた悪魔の中でも最も恐ろしい悪魔である。一見したところ、悪魔らしい顔をしていないということもさることながら、それどころか堂々として落ち着きはらっていて、大人物にさえ見える。それで人を魅了する。そして何よりも、心理学を武器にしてしまったのである(「ミツバチの巣で死神を見た」http://gorom2.blogspot.com/2014/12/blog-post_97.html)。