2014年12月15日月曜日

Ave Maria

 CacciniのAve Maria(カッチーニのアヴェ・マリア)を初めて聞いたとき、とめどなく涙が流れた。今もこの曲を聞くと、涙を抑えることができない。恐ろしいまでの悲惨を見た人だけが書ける音楽であると思う。この曲を作ったのはCacciniであるとするのは、偽りであると言われている。とすれば、この曲は紛れもなく現代人の手になるものだということになる。この曲のすごさは、最初の“Ave Maria”の旋律が次々と変化していく点にある。その変化のあとのひとつひとつが、またすばらしい。おそらくは不遇な人生を送ったであろう作曲者の深い教養と並々ならぬ才能を感じさせる。その教養は、たぶんバロック音楽を究めることによって培われたものであろう。
 この曲にはAve Mariaだけではなく、他の要素の内容もあるように思われる。“miserere nobis”(憐れみたまえ)である。この曲のあとに、他の曲も聞きたくなった。Vivaldi(ヴィヴァルディ)の“Gloria”(グローリア)の第8曲、“Domine Deus, Agnus Dei”(神なる主、神の子羊)である。アルトとコーラスが“miserere nobis”(憐れみたまえ)と切々と歌う。そして、オーケストラの伴奏は雪が降る情景を思い起こさせる。心の中に、しんしんと降り続く雪。南国イタリアでも雪が降るのだろうか。
 このAve Mariaの作曲者がVivaldiの音楽が好きだったかどうかは分からない。しかし僕の勝手な想像だけれども、両者には相通じ合うものがあるように思われてしかたがないのである。
  CacciniのAve Mariaも、降りしきる雪の中で歌われるものと仮定したらどうだろうか。最初は、ちょっと無理があるかなあ、という気がした。しかし、よくよくこの曲に耳を傾けていると、結構ぴったりするではないかという気にもなってきた。降りしきる雪の中で、暗い夜空を見上げる。そして聖母マリアの姿を探す。作曲者には見えていたのだろうか。マリア様の顔が。