課題
第1問
次の文章は、『ユング心理学批判』の「昔話」(http://moriyamag.blogspot.com/2013/09/blog-post_9.html)から引用したものである。文中の「・・・・しっかりと赤ん坊を抱きとめていた。」に続いて、次のような一文を新たに付け加えたい。「涙にむせびながら赤ん坊に頬ずりする手なし娘。」この一文を付け加えることは、芸術的観点およびその他の観点からみて適切であるか。筆者は、この一文にかなり未練があったらしいが、あえて削除することを選択した。その選択の可否を論ぜよ。
手なし娘という話が好きである。数々の苦難の末に、手なし娘は、赤ん坊を背負って野山をさまよう。喉が渇いて、谷川の水を飲もうとして、背中の赤ん坊がずり落ちて川に落ちそうになる。「あっ」と思って、ない手を伸ばして赤ん坊を抱きとめようとした瞬間に、ないはずの手が生えてきて、しっかりと赤ん坊を抱きとめていた。たれこめた真っ黒な分厚い雲の隙間から、天使の歌声が聞こえてきそうな場面である。その歌は、やはりバッハの管弦楽組曲のアリアがふさわしい。
一文を付け加えると、以下のようになる(青字の箇所)。
手なし娘という話が好きである。数々の苦難の末に、手なし娘は、赤ん坊を背負って野山をさまよう。喉が渇いて、谷川の水を飲もうとして、背中の赤ん坊がずり落ちて川に落ちそうになる。「あっ」と思って、ない手を伸ばして赤ん坊を抱きとめようとした瞬間に、ないはずの手が生えてきて、しっかりと赤ん坊を抱きとめていた。涙にむせびながら赤ん坊に頬ずりする手なし娘。たれこめた真っ黒な分厚い雲の隙間から、天使の歌声が聞こえてきそうな場面である。その歌は、やはりバッハの管弦楽組曲のアリアがふさわしい。
第2問
第1問本文の天使の歌に筆者が選んだのは、バッハの管弦楽組曲(第3番)のアリア(いわゆるG線上のアリア)であったが、その選択を正しいと考えるか。また、この曲の他にどのような曲がふさわしいか。その理由を付して答えよ。
第3問
次の文章は、当サイトの「Ave Maria」(http://ameblo.jp/dwuu/entry-11915324475.html)からの引用である。この文章には当初、「着せ替え人形がその衣装を次々と替えていくように」という表現が含まれていた。その箇所を掲げると次のようになる(青字の箇所)。
CacciniのAve Maria(カッチーニのアヴェ・マリア)を初めて聞いたとき、とめどなく涙が流れた。今もこの曲を聞くと、涙を抑えることができない。恐ろしいまでの悲惨を見た人だけが書ける音楽であると思う。この曲を作ったのはCacciniであるとするのは、偽りであると言われている。とすれば、この曲は紛れもなく現代人の手になるものだということになる。この曲のすごさは、最初の“Ave Maria”の旋律が着せ替え人形がその衣装を次々と替えていくように変化していく点にある。その変化のあとのひとつひとつが、またすばらしい。おそらくは不遇な人生を送ったであろう作曲者の深い教養と並々ならぬ才能を感じさせる。その教養は、たぶんバロック音楽を究めることによって培われたものであろう。
筆者はこれについては、それほど迷わずに削除することにした。削除したことについて、その可否を論ぜよ。
第4問
次の文章は、『ユング心理学批判』「平家、海の藻屑となる」(http://moriyamag.blogspot.com/2013/10/blog-post_26.html)からの引用である。
平家物語、那須与一が扇の的を射切った場面に引き続いて、ひとりの男が与一に射殺される。この段は、教科書には載らないだろう。
那須与一の快挙に、源平双方とも喝采の声を上げる。戦場は、与一の快挙に酔いしれる。そんなとき、平家のひとりの男が、感極まって船の上で踊りだした。与一は、その男を射殺したのである。戦場は、冷水を浴びせかけられたように、シーンとする。
何もそこまですることはないではないか、ひどすぎる、と平家方の人々は思っただろう。何か恐怖のようなものを感じた人もいるだろう。俺たちは、もうおしまいなのではないか、と考えた人もいるだろう。
京都に入り、天下を手中に収めた平家の人々は、貴族たちが愛好する雅の世界にすっかり魅せられてしまった。こんな素晴らしい世界があったのかと夢中になり、自分たちが武士であることを忘れてしまった。貴族になりたい、貴族になりたいと願うようになった。そんな時、東国で源氏の生き残りの頼朝や義経が旗揚げすると、もう対抗する力もなくなっていたのである。
自分たちが武士であることを忘れ、命をやり取りする場である戦場においてさえ雅を持ち込もうとした平家が滅び去っていくのは当然であると言えよう。那須与一に射殺された哀れな男は、そんな平家の運命を象徴しているのである。(以上、引用)
平家の滅亡の原因を、彼らの芸術的志向性、芸術への嗜好にあると捉えたものである。この文章の第3段落(「何もそこまですることはないではないか」以下。青字の箇所。)に、新たに一文を付け加えたい。どのような文を、どこに加えるのが適当であると考えるか。平家の悲劇性を、より際立たせたい。任意の一文で答えよ。
第5問
芸術とは何であるか。次の( )内AとBに適当な言葉を入れよ。AもBも一文字とする。むろん正解は、この字数にこだわるものではない。なお、これは音楽に特に、また文学に当て嵌まる。美術には適用しにくいと考える。
心の中を(A)れる(B)。
本講座について
問題に僕の書いたものを取り上げましたが、これは僕のものが芸術である、芸術として優れているということではありません。こうするより他にしようがなかった、ということにすぎません。
解答を作成して、次のメールアドレスに送信してください。
Mailto: goromoriyama(at sign)gmail.com
受講料として、2千円申し受けます。入会金等はございません。解答を受け取ったら、振込口座をお知らせします。入金を確認次第、解答と解説をお送りします。採点は、ご自分でなさってください。
解答と解説を受け取ってから、「こんなくだらないことで、2千円もふんだくるのか。これでは河合隼雄の詐欺より悪質ではないか」と言わないでください。それではスタバかドトールでコーヒーを飲んだ後で店員に、「おい、これは本物のコーヒーなのか。おこげを粉にして淹れただけではないのか」と文句をつけるようなものです。そう言われたときの店員の立場に立って、ようく考えてみてください。すっかりどぎまぎして困ってしまって、もう首でも吊って死んでしまおうかなあ、と考えるでしょう。
僕は実は、個人がこのようなオンライン講座を開設してもよいのかどうか分かりません。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。メールでお願いします。
Mailto: goromoriyama(at sign)gmail.com