真幸くあらばまたかへり見む
磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまたかへり見む
i-wa-shi-ro-no, ha-ma-ma-tsu-ga-e-o, hi-ki-mu-su-bi, ma-sa-ki-ku-a-ra-ba, ma-ta-ka-e-ri-mi-n
磐代は、和歌山県日高郡南部町。その浜に、一本の松の木が生えていた。作者・有間皇子(Arima no Miko)(The word “miko” or “ohji” means prince.)は、都に上る途上にある。謀反(coup)の嫌疑をかけられていた。
磐代の浜松よ。お前を見ていると、その、すっくと立っている姿が俺に力と勇気を与えてくれる。それでは、お前の枝を結んでおくことにしよう。都に上り、俺の釈明が通って無事この道を引き返して戻ってくることになったなら、再びお前を振り返って見ようではないか、というのがこの歌全体の意味である。
しかし、Arima no Mikoの釈明は聞き届けられなかった。中大兄皇子(Nakanoôe no Miko)に「何故に謀反なんか企てたのか」と尋問されて、有間皇子は次のように答えた。「天と赤兄のみが知っている。私は何も知らない」と。赤兄とは、蘇我赤兄(Soga no Akae)。この事件の密告者である。658年、Arima no Mikoは刑場の露と消えた。
僕は、Arima no Mikoは無実であったと信じる。この歌を、口の中で転がすように発音してみる。どこか雄雄しさが感じられないだろうか。寸分も悪びれたところがない。
waka(tanka or uta)(thirty-one syllabled verse)は、5・7・5・7・7の計31音で構成される。haikuは、5・7・5の17音だが、tanka(waka)はhaikuよりも少し音数が多い。haikuは、叙景(情景を詠む)に優れ、tankaは叙情(人の心・心情を詠む)に優れている。wakaの最古の集が万葉集(Man'yosyu)である。7世紀後半から9世紀頃に成立したと考えられている。編者はOtomo no Yakamochiである。The Tale of Genjiが世界最古の小説ならば、Man'yosyuは世界で最も古いanthologyのひとつと言ってもよいだろう。
i-wa-shi-ro-no, ha-ma-ma-tsu-ga-e-o, hi-ki-mu-su-bi, ma-sa-ki-ku-a-ra-ba, ma-ta-ka-e-ri-mi-n
“i-wa-shi-ro”は、地名である。“no”は、英語の“of”に相当するが、前後の語の順序が逆である。Tom's bookの“'s”に相当する。
“ha-ma-ma-tsu”は、seashoreに生えているpine treeである。“ga”は“no”と同じく所有を表す助詞であるが古めかしい。現在では特定の表現にのみ使われる。“e”はbranchのこと。“o”は、その直前の語(つまり、branches of pine tree)が目的語であることを示す助詞である。
“hi-ki-mu-su-bi”は動詞であるが、元の形(基本形)は“hi-ki-mu-su-bu”である。意味は、動詞のtie。“hi-ki-mu-su-bi”という形になると、“引き結んで、そして”といういような意味合いになる。
“ma-sa-ki-ku-a-ra-ba”は、with luckの意味であるが、現在ではこの表現は使われない。「運がよければ宝くじに当たるだろう」とか「運がよけりゃ何とかなるさ」といった軽いニュアンスのものではない。やるべきことはすべてやり、それで天が味方してくれるならば、というような重々しい感じの表現である。。
“ma-ta”は、againという意味である。“ka-e-ri-mi-n”は、I want to turn to face (the pine tree).という意味になる。
Wakaも詩(verse)と同様、言葉の意味と響きが織りなす世界である。口の中で転がすように唱えていると、そこにリズムが生まれ旋律が生じる。音楽の世界が開けてくるのである。
日本語の母音は、“a”、“i”、“u”、“e”、“o”の五つである。母音もひとつの音であるが、それに子音“k”などがくっついて、ひとつの音になる。“ka”、“ki”、“ku”、“ke”、“ko”は、それぞれひとつに音である。“shi”“chi”“tsu”“sya”“cha”のような音もある。これらも、ひとつの音である。また、“n”もひとつの音である。
このwakaの前半の5・7・5の部分、つまりi-wa-shi-ro-no, ha-ma-ma-tsu-ga-e-o, hi-ki-mu-su-biの箇所は、どこか、くぐもったような印象を与える。ところが後半部の7・7、つまりma-sa-ki-ku-a-ra-ba, ma-ta-ka-e-ri-mi-nの箇所になると、その声調が大きく転換する。音楽で言えば、転調がなされたようなものである。その原因は、後半部7・7の母音に“a”の音が多いからだと思う。口を大きく開ける“a”の音は明るく力強さを感じさせる。その“a”の音の多用が、作者の力強い凛とした態度を感じさせる。これは無論のことだが、前半部がやや俯き加減でくぐもった印象を与えているからこそ、後半部の“a”の音の多用が生きてくるのである。
紫式部(Murasaki-shikibu)はThe Tale of Genjiで、たくさんの歌を詠んでいるが、紫式部は歌人として特に傑出しているとは認められていない。そのひとつひとつの歌と物語との内容の関連という点では見るべき点はあるけれども、それぞれの歌の声調という点では、いまひとつかなあ、という気がする。紫式部が大歌人として認められていない所以だろう。
この歌(waka)については、後世の人がArima no Mikoに仮託して作歌したものだとする説がある。これはインターネットで調べた。この説が正しいとすると、Arima no Mikoは無罪であろうとする推定が根底から崩れることになるかもしれない。それならば、一体誰がこの歌を詠んだのか。この歌の声調の大らかさ雄雄しさから考えると、僕には柿本人麻呂(Kakinomoto Hitomaro)しか考えられないのである。ところが、Hitomaroは歌の名所になっているこの地を訪れて、この歌と作者を偲んで歌を詠んでいる。ということは、Hitomaroではありえないことになる。すると誰なのだろう。無名の歌人か。これほど堂々とした男らしい歌を詠める人が、無名の歌人であるとは。どうして無名のままで終わったのだろう。こういう風にとつおいつ考えていると、やはり、これは紛れもなくArima no Miko自身が詠んだ歌である、と結論づけたくなる。
この稿を書くにあたって、大きな影響を受けたのが、若かった頃に読み親しんだ斎藤茂吉著『万葉秀歌』である。僕は只今、外国に逃亡中なので、とにかく参考文献や参考資料が手元にないのが苦しいところである。だから、たよりになるのは、“青空文庫”からダウンロードさせてもらった茂吉の『万葉秀歌』のみである。斎藤茂吉は僕にとって、歌人としてよりも『万葉秀歌』の著者としてのほうが大きな存在である。御本人としては、はなはだ不本意で残念に思われるかもしれないけれども。
WAKA(2)ー磐余の池に鳴く鴨ー
http://gorom2.blogspot.my/2014/12/waka2.html
WAKA(3)ーあかとき露にー
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3.html
WAKA(3)について
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3_2.html
WAKA(4)-何しか来けむ-
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/oceanocean-and-forested.html