磐余の池に鳴く鴨
百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
mo-mo-zu-to-u, i-wa-re-no-i-ke-ni, na-ku-ka-mo-o, kyo-u-no-mi-mi-te-ya, ku-mo-ga-ku-ri-na-n
作者・大津皇子(Ohtsu no Miko)は、前回のArima no Mikoと同様、謀反(coup)の罪により死を賜った。Arima no Mikoの“i-wa-shi-ro-no”の歌が詠まれたときとArima no Mikoの死との間には、かなりの時間の隔たりがあるが、この Ohtsu no Miko の場合は、死が切迫している。
“mo-mo-zu-to-u”は、枕詞(poetic epithets)である。枕詞は、相撲(sumo wrestling)で言えば“呼び出し”(a caller)の役割を果たしている。ある言葉を呼び出すために、そのある言葉の前に置かれる。例えば、“旅”(travel)という言葉を呼び出すために、“草枕”(sleeping on grass in an open field)をまず置く。そのあとに、“旅”(travel)が来る。旅館もホテルもなかった時代に旅に出れば、どうしても草を結んで、それを枕(a pillow)がわりにしなければならないことになる。それで“草枕旅”(ku-sa-ma-ku-ra)-(ta-bi)となるわけである。この歌の“mo-mo-zu-to-u”は、第2句の“i-wa-re”(地名)にかかる枕詞(poetic epithets)である。但し、この場合は“i”という音と関連があるからにすぎない。“mo-mo-zu-to-u”という語と“i-wa-re”という語の間には意味上の関連性がないのである。本来、どの枕詞も歌の中で意味を有してはいない。歌の中で使用される枕詞というものは、ただ単に語調を整えるためだけのものである。それにもかかわらず、そのような枕詞によって何らかのイメージ、何らかの意味合いを喚起されてしまうということは致し方ないことではなかろうか。
本来ならば、このようなことをすることは好ましくないことかもしれない。しかし敢えて、この“mo-mo-zu-to-u”という枕詞の意味と語調と、この歌全体との関わりを考えてみなければならない。このようなことをするのは、本来ならその意味を考えないことになっているはずの枕詞でありながら、この“mo-mo-zu-to-u”という枕詞は、この歌の中で意味上においても重要な位置を占めていると考えるからである。いわば日本の伝統的な人形劇の黒子(a kuroko。a stage assistant dressed in black)が、一躍主役または主役の相手役に躍り出ているのである。
“mo-mo-zu-to-u”の“mo-mo”は、数字の百(a hundred)の古い言い方である。百は、また、単に数が多いときにも使われる。その場合の“mo-mo”(a hundred)は、“lots of”の意味になる。“zu-to-u”は動詞であるが、元の形は“tsu-ta-u”である。雨の日、たとえば木の枝が垂れ下がっているとすると、雨の滴が枝を伝って、ぽたぽたと落ちている。滴が枝に沿って移動する、それが“tsu-ta-u”である(go along)。“tsu-ta-u”が“zu-to-u”と変化しているのは、直前に“mo-mo”という語があるのと発音のしやすさから変化したものである。“zu-to-u”は、実際には“zu-toh”と発音する。この場合、“toh”は2音となる。
“mo-mo-zu-to-u”の本来の意味は、たくさんのところを伝って(go along)行って、遠いところに至る、という意味である。“mo-mo-zu-to-u”は “i-wa-re”にかかる、と先ほど述べたが、実質的には“i-wa-re-no-i-ke”の“i-ke”(pond)にかかると見るべきだろう。“no”は、所有を表す助詞(a postpositional particle)。“i-wa-re-no-i-ke”は、“i-wa-re”という地にある“i-ke”(pond)という意味だからである(iware pond)。
そうすると、“mo-mo-zu-to-u, i-wa-re-no-i-ke”からどのようなイメージが喚起されるだろうか。雨が降り、雨水が寄せ集まって細い小さな流れとなる。その水の流れが岩間を伝い(go along)、木々の根を伝い(go along)して“i-wa-re-no-i-ke”(iware pond)に注ぎ込む。それは恰も川が山間を伝い、平野を伝って、やがてやがて大海に流れ込むようなものである。そして、それは命を育む水の流れである。この歌の第3句目に、“ka-mo”(wild ducks)という言葉が現れるが、鴨(wild ducks)はこの場合、生の象徴である。命を育む水の流れは、“i-wa-re-no-i-ke”(iware pond)に注ぎ込んで鴨( wild ducks )の命を支える。
“i-wa-re-no-i-ke-ni”の最後の“ni”は、場所を指定する助詞(a postpositional particle)である。
mo-mo-zu-to-u, i-wa-re-no-i-ke-ni, na-ku-ka-mo-o, kyo-u-no-mi-mi-te-ya, ku-mo-ga-ku-ri-na-n
3句目の“na-ku-ka-mo-o”の“na-ku”は、“sing or quack”である。“ka-mo”は、(wild ducks)である。“i-wa-re-no-i-ke”で鴨が鳴いているのである。おそらくは数十羽の鴨がけたたましく鳴いているのではないだろうか。“wild ducks”は、この歌では重要な役割を果たしている。“ka-mo”に付く句末の “o”は、動作の対象を示す助詞(a postpositional particle)である。この動作は、第4句にある“mi-ru”(see)という動作である。動作(see)の対象は、“wild ducks”である。つまり、鳴いている“wild ducks”を見るのである。
第4句。“kyo-u-no-mi-mi-te-ya”の“kyo-u”は、today。実際の発音は、“kyoh”となり、これで2音。“no-mi”は、only。今日だけ、という意味になる。“mi-te-ya”の“mi-te”の元の形は“mi-ru”で、“see”の意味である。“mi-te”と変化して、助詞の“ya”が付くと、“見て、そして”という意味になる。「鴨を見て、そして」ということになる。“ya”は単に調子を整える語である。
最後の句(第5句目)の“ku-mo-ga-ku-ri-na-n”の、“ku-mo-ga-ku-ri”の元の形は、“ku-mo-ga-ku-ru”である。表面上の意味は、“hide behind a cloud”であるが、死ぬことを表している。“na-n”は、助動詞(an auxiliary verb)が二つ合わさったものだが、意志を表しているとみてよいだろう。“ku-mo-ga-ku-ri-na-n”で、「さてと、死の国へ旅立つとするか」というような意味になるだろう。
一首全体の意味は、
磐余の池で今日も鴨たちが鳴いている。ちょっと騒がしいが、かわいいものだ。鴨の鳴き声を聞くのも今日が最後だ。さようなら。それでは、死の国へと旅立つとするか(ここでは、“mo-mo-zu-to-u”という枕詞を無視して現代語に直した)。
ということになろうかと思う。
そこで、この“waka”を鑑賞するにあたっては、先程来、くどくどと述べてきた“mo-mo-zu-to-u”という枕詞の重要性を度外視するわけにはいかなくなる。
mo-mo-zu-to-u, i-wa-re-no-i-ke-ni, na-ku-ka-mo-o
前半部の3句の5・7・5である。この部分は、ゆっくりと、それこそ一字一句噛みしめるように読んだのでは駄目である。ある程度スピード感をもって、流れるように読み上げないといけないと思う。特に、“mo-mo-zu-to-u”の“to-u”を、“toh”と発音することを忘れないでほしい。“mo-mo-zu-to-u”は、どこか遠くからやって来る、ということである。何がやって来るのか。無論、流れである。そして、それは水の流れであり、生命の流れであるといってもよいだろう。さらに、その生を象徴しているのが磐余の池で鳴き騒いでいる鴨である。この上句5・7・5を口の中で唱えていると、流れを感じないだろうか。それは生の流れであろう。
kyo-u-no-mi-mi-te-ya, ku-mo-ga-ku-ri-na-n
下の句(後半部)の7・7である。生の流れに身を任せていたかにみえた作者は、ここで、はっとわれにかえる。このことは、下の句7・7の冒頭にある“ky”という強い子音によって示されている。そうだ、俺はこれから死出の旅へ出なければならないのだ。そして、その時に突如として湧き上がる生きているものへの慈しみ、そしていとおしさ。人はみんな死を目前にして、このようなことを感じるのだろうか。
WAKA(1)ー真幸くあらばまたかへり見むー
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WAKA(3)ーあかとき露にー
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WAKA(3)について
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3_2.html
WAKA(4)-何しか来けむ-
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