「Gabriel Faure」(http://gorom8.blogspot.com/2015/02/gabriel-faure.html)に2箇所、「自我を死守せよ」(http://gorom2.blogspot.com/2015/02/blog-post_27.html)に1箇所、書き込みがあります。青い背景。
これから各方面に訴えていくことにします。いつ命を落とすか分からないような状況ではありますが、死ぬまでユング派への攻撃の手を緩めるつもりはありません。彼らは社会で生きていくにふさわしくない、社会に置いておくわけにはいかない連中ですから、社会から追放しなければなりません。日本の皆さんも、世界中の皆さんもユング派を撲滅するために行動を起こしてください。
これを“up”しようとしたら、インターネットの接続を切断しやがった。浅はかで卑劣なやつらだ。他にも様々な妨害があるが、いちいち詳しくいうのも面倒くさいから、やめておく。
超越的世界と何らかの関わりをもつようになった。しかもその上、悪を否定しない。こんな恐ろしいやつらを、どうして社会に置いておくことができるだろうか。遠山敦子や龍谷大学文学部の小島勝教授(遠山敦子も小島教授もユンギアンとはいえないだろうが、ユンギアンと同等と看做してよいだろう)を見るがいい。犯罪者なのに反省する気配もない、罪の意識を感じているのか外見上さっぱり分からないではないか。日本のように、権力に擦り寄ろうとするユング派が幅を利かせておれば、人類は確実に滅びるだろう。僕はユング派とは、倶に天を戴かず、である。ユング派が蔓延るような恐ろしい世界では、生きていたくないのである。
心の深層に真実はない。真実は現実の中にしか存在しないのである。現実を蔑ろにして、それを忘却すると、大変なことが起きる。
集合的無意識なるものを仮定し、これを絶対視して盲信するならば、集合的無意識の自然の流れにすべてを委ねておればよいではないか。そうではなく、集合的無意識や元型や個性化について批判されると、どうしたわけか過剰に反応し、さらに他人にまで集合的無意識などへの信仰を押しつけようとする。おかしいではないか。真理は、絶対化を推し進めて盲信や狂信の域に達したとき、それと同時に絶対性は失われ相対化が始まるのである。真理は、絶対的真理の座から引きずりおろされるのである。
また、ユング派と手を組んだらしい文部科学省の邪悪さ卑劣さもすさまじいものがある。文部科学省の指導者的存在であった遠山敦子を見れば、その邪悪さ廉恥心のなさは一目瞭然であろう。