2015年9月26日土曜日

芸術暗黒時代

 文部科学省による僕に対する虐待に、いつの間にか芸術に無縁な人々の集まりであるユング派が手を組んで加わってきた。やつらは、僕の芸術的才能に惚れこんでしまったようである。迷惑千万な話だ。それならと、僕はあえて自分の才能を眠らせる対抗措置をとった(「幻想の黒いオルフェ」 http://moriyamag.blogspot.com/2013/11/blog-post_2028.html )。村上春樹や宮崎駿のように、ユング心理学によって売れっ子になってもしようがないではないか。それこそ芸術家の恥である。幾許かの時が経てば、結局は偽物の芸術家でしかなかったことが自然に判明して人々に嘲笑されるだけだろう。
 若い頃には芸術や芸術家を馬鹿にして、そんなものは飯の種にならないと眼中になかった芸術に縁のない輩が、知ったかぶりに偉そうな顔をして村上春樹がどうのこうのと御託を並べているのを見ると、その鼻をへし折ってやりたくなる。村上春樹の作品には、文学的価値はない。それなのに、売るほうは文学作品として売り、買うほうも文学作品として買っている。だから、ややこしくなってしまうのである。村上の作品は、大衆文学か通俗小説の作品であることを、明確にしておいてもらわないと困る。世の多くの人が誤解してしまうではないか。芸術には縁がないくせに、芸術が分かったような顔をする。いっぱしの芸術通を気取りだす。このような輩が多くなればなるほど、本物の芸術家は生き辛くなる。芸術家は、ただでさえ生きるのが下手なのである。それを俄か芸術通たちが、さらに危機的な状況にしてしまった。この危機的状況は、ユング派がのさばることによって、ひどくなったものである。芸術に無縁な人種の者は、偉そうに芸術をあげつらうな。
 今、ユング派を叩き潰し、文部科学省をねじ伏せたら、やっと僕は作曲家になるための精進を開始することができる。この年になって、やっとだ。それまでは、才能をいばら姫のように眠らせておかなければならない。精進を始めたからといって、すぐに作曲家になれるわけではない。民謡(民謡は音楽性の宝庫である)やバロック音楽などを究めなければならないのである。生きているうちに達成できるだろうか。