2015年1月14日水曜日

遠山敦子、目を覚ませ(9)の補足

 遠山敦子、目を覚ませ(9)に前回、書き換えをしましたが(http://gorom2.blogspot.com/2015/01/blog-post_14.html)、若干、補足しておきます。
 器物損壊罪については、ひとつ難しい問題があります。無体物(形のない物)である演劇活動を、客体である物として裁判所が認めてくれるかどうかです。おそらく判例はないでしょう。しかし電気でさえも、財物なのです。法律を離れて、素直に考えてみてください。財産的価値以上の価値がある演劇活動を、客体である物と認めても差し支えないのではないでしょうか。裁判所はきっと、通説をくつがえしてでも器物損壊罪の成立を認めてくれるでしょう。本当は器物損壊罪どころの話ではない、もっと重大な犯罪事件なのですから。
 
 ユング派なんかを信奉していたら駄目です。集合的無意識とか元型とかという、ありもしない妄想体系にとり憑かれるから、自我を失ってしまうのです。自我を失えば、これはもう“きじるし”でしかありません。ユングファン、河合隼雄ファンの作家、村上春樹を御覧ください。“きじるし”としか言いようがないではありませんか。

 心の深層が癒すのではありません。間違えないでください。その微弱なかすかな力弱い治癒力が働くためには、どうしても自我の助けが必要です。ユング派のように、例外なく自我を失っていては駄目だということです。“きじるし”になるだけです。そうして、もっと強力な薬を、と躍起になって、結局、悪魔から“安寧”をもらうことになってしまいました。
 自我を失ってしまったら、法律家にも官僚にも政治家にもなれません。ましてや、心理学者や芸術家にもなれません。これは当然でしょう。

(「OCEAN」 January 12, 2015)