2016年1月9日土曜日

「こころの未来」という言葉の恐ろしさ

最初の青いフォントの箇所は、「アニマは女性像ではない」( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post.html )に書き加えた記述を、ここに転用したものである。

 「こころの未来」とは何事か。これは河合俊雄が設立したのであろう京都大学の研究機関の名称である。人間精神を改変してやろうというのか。人間の心が変容するのは、成長とか成熟とかと呼ばれているものである。悪い意味では、堕落という言葉が相当するか。堕落は、一気にやってくる可能性がないでもないが、成長や成熟は、かたつむりの歩みのように遅々とした歩みであり、動いているのか変化しているのかどうか、見た目には分からないものである。河合俊雄の「こころの未来」とは、ユングの「精神の拡張」を念頭においているのだろう。人間の「精神の拡張」とは、風船にいっぱいに入れている中の空気だけを一気に高温にして膨張させるようなものである。風船は、当然破裂するだろう。人間の「精神の拡張」とは、人間世界から飛び立ち、はるかかなたの世界へ飛び去っていくことである。つまり、人間ではなくなることである。河合俊雄も親父の後をついで、河合隼雄そっくりの大馬鹿者だ。親父のように氷のように冷たく恐ろしいのだろう。
 河合俊雄は人間であることが厭なようである。現在の自分の心に満足していない。現在の自分の心を消し去りたい、抹殺したいと考えているようである。それなら、さっさと自分で死を選んで自分の首を絞めてしまえ。お前なんかが死んでも誰も悲しみやしない。社会の害虫が、一匹いなくなったと喜ばれるだろう。