2016年1月20日水曜日

アニマは女性像ではないPARTⅥ

アニマは女性像ではない」( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post.html )

アニマは女性像ではないPARTⅥ

 ときどき、外国をひとり旅している女性にお会いするが、どうかひとりで外国を旅行するのは控えていただきたい。女性のふたり旅でも心配だ。男でさえ、注意を怠らなくても何が起こるか分からないのである。僕は一昨年、ある国で長距離夜行バスに乗っていた。そのバスが人身事故を起こして運行中止になった。こうして、僕が細心の注意を払っているか否かにかかわりなく、自分の責任とは関係のない事由によって、外国の見知らぬ町に真夜中にひとり放り出された。このときの恐ろしさは、たとえようがない。知らない町をしばらくさまよい、ちょっと裏通りに入ると、十匹ほどの野犬がうなり声を上げて近寄ってきたときには、それこそ肝を冷やした。急いで表通りに出る。それから立て続けに起きる首絞め強盗などの災難。首絞め強盗とは、たいていふたり組みで、ひとりが後ろから首を絞め、もうひとりがその間にポケットをさぐって財布を抜き取るのである。財布のほうは、貧乏人だから大して入ってはいなかったが、この時メガネを壊された。これが不便だった。何度か、道を歩いていて、つまづいて転んだ。いちばん危なかったのは、階段を下りていたときに、階段を踏み外したときである。このときは、頭を打つのではないかと思った。いっそあのときに、頭を打って死んでしまえばよかったかな。こんなことを考えるほど、生きているのがつまらなくなってしまった。そしてそれでも、日本にいるよりは、ましなのである。
 去年、日本に一時帰国していたときには、ゆうちょ銀行に殺されそうになった(「アニマは女性像ではないPARTⅤ」( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/part_18.html )。僕は、文部科学省と途中から文部科学省と手を組んだユング派によって長年虐待を受け続けている。文部科学省による虐待は、もうかれこれ30年ほどになる。途中から虐待仲間に加わってきたユング派による虐待は、20年ばかりになる。ゆうちょ銀行が僕を殺そうとした理由について、いくつか考えられるが、最も真相に近いと思われるのは文部科学省が僕を誹謗中傷しているからではないだろうか。文部科学省による虐待のきっかけになったのは、僕に対するある重大な誤解である。僕は、ずっと、なぜ文部科学省に虐待されているのか、その理由が分からなかったのである。文部科学省による虐待の初期の頃には既に、監視かストーカーのようなことが行なわれていた。それが、ユング派が虐待仲間に加わると、よりすさまじいものになった。文部科学省はユング派に、僕の虚偽の悪口を吹き込んだものと考えられる。さらに文部科学省は、僕への誹謗中傷を様々な方面で行っているのではないだろうか。ゆうちょ銀行が僕を殺しそうになったのも、文部科学省が僕の誹謗中傷をしたからではないか。郵便局を民営化した小泉純一郎や、小泉純一郎の婢女のような遠山敦子の流れをくむ文部科学省のいいなりになるとは、“郵貯銀行”も浅はかなものである。また、上部機関になる内閣(日本政府)にも誹謗中傷をしているかもしれないのである。警察が僕の味方になってくれないのも、そのような理由があるからではないだろうか。このように、警察に助けを求めても無視されて相手にしてくれない、以前に僕にとっては大金を預けていたゆうちょ銀行には殺されそうになる、ということで、これではもう日本には恐くて帰ることができないのである。いつ、ゆうちょ銀行のようなやつに殺されるかわからないのである。
 文部科学省による誹謗中傷は、僕の家にまでも及んでいた。信じがたいことだが、本当である。どこまで卑劣なやつらだろう。そのために僕は、文部科学省の虚偽の悪口を信じこんだ両親や弟から完全に馬鹿にされ、親子の情愛もすっかり失くなってしまった。そのために、肉親の家族からさえも、突っ慳貪なすさまじい待遇を受けなければならなくなった。さらに誹謗中傷は、僕の家の親戚中にまでも及ぶ。親戚にまで及んだのは、僕の家の本家が商売をしているので、顧客として来ていた文部科学省の関係者が悪口を吹きこんだとも考えられないこともないが、僕の両親が広めた可能性のほうが高いかもしれない。僕は身内からも完全に切って捨てられたようである。だから親父の葬式にさえ、喪主になるべきでありながら恐くて出席することができなかった。親類中から吊るし上げを食い、まるで集団リンチのような扱いを受けることが目に見えていたからである。葬式に出席しなかったことが、僕への侮蔑の情にさらに拍車をかけたことは言うまでもない。また友人も、ひとりもいなくなった。僕への誹謗中傷は、職場にまでも及ぶ。そのために職場で、陰湿な嫌がらせや威しを受けるようになった。こうなると、誰でもまともに仕事をすることができなくなるだろう。当然の結果として、退職せざるをえなくなった。その後、新しい職に就こうとしても就職することができない。様々な職に当たってみた。中には、そんなに専門的な知識や技能も必要としない簡単な仕事で、社会的にはあまり高く評価されていなくて就職しやすい仕事にさえも、奇妙な邪魔が入って就くことができないのである。おそらく、悉くユング派か文部科学省の妨害があったのだと思う。何故、このような邪魔をするのだろうか。
 いちばんなりたかったのは、心理カウンセラーである。以上に述べたように、すさまじい虐待を受けている。精神的に、かなり参っていた。立ち直らなければならないと考えて、心理学書に読みふけっていた。そうしているうちに、カウンセラーになろうと思い始めたのである。大学や研究機関は文部科学省が監督しているから、とても就職できそうにない。だから、個人開業しようと考えていた。僕が拠って立つ技法は、RET(Rational Emotional Therapy 日本語訳は「論理療法」)(「金鉱は見つからない」の後記 http://gorom8.blogspot.jp/2015/02/blog-post_15.html )である。龍谷大学を受験する前の年に、他の大学の大学院の心理学専攻を受けていた。龍谷大学よりも学力レベルの高い大学である。僕には、ろくな推薦者がいなかったが、面接官の教授から「この道(カウンセラーへの道)をお進みください」と言われた。僕は、てっきり合格させてもらえるものと期待していた。ところが、結果は不合格だったのである。なんだか、狐につままれたような気がした。実はこのようなこと、普通に歩いていても、突然、前方の道がなくなって消えてしまうとか、当然手に入りそうなものが誰かに横取りされてしまうとか、思いもしない別にほしくもなんともないものが、ころがりこんでくる、というようなことが僕の人生で頻発しているのである。この大学の不合格には、すっかり参ってしまっていた。
 翌年に龍谷大学の大学院を受験して合格した。龍谷大学文学部(日本語日本文学専攻)の大取一馬教授から「(カウンセラーになりたいのなら)うち(の大学)に来ればよい」と言われて受験したのである。大取教授に小島勝教授を紹介されたような格好になった。このふたりは、非常に仲が良いようである。こうして、今までに何度も書いてきた詐欺事件が起きた。実行犯は大取教授と小島教授、正犯は小島教授と面談中(このときユング心理学を学ぶことを強制された)に名前が挙がっていた河合隼雄と氏原寛だろう。小島教授の夫人も、河合隼雄の弟子だと面談中に聞いたから、正犯のひとりである可能性が高い。非常勤講師として龍谷大学に出講していた大谷大学の酒井汀教授も、幼稚なやり方ではあるけれども龍谷大学構内で僕に脅迫したので、正犯のひとりであると思う。このとき、罠にかかったような焦燥感を覚えた。耳をつかまれて、引っ張られて、無理やり龍谷大学に拉致されてきたような不快感を感じたのである。前年の他の大学の不合格は、この龍谷大学における詐欺(ユング心理学の強制)の布石・下工作なのではないだろうか。しかし、前年に大学院を受験して不合格になった他の大学の面接官の教授は、ユング派ではない。これは、どういうことなのだろうか。さっぱり分からない。僕に対する付き纏い、虐待はユング派だけではなく、もっと広がりのあるものだろうか。それとも、面接官だった教授もユング派に付き纏われて妙な示唆やほのめかしを受けたり、この教授に対して何らかの教唆が行なわれているのだろうか。この教授も被害者なのだろうか。
 以上のように、文部科学省に各方面で誹謗中傷された上に、すさまじい虐待を受けているのだから、僕の人生がなくなったも同然である。これは殺人よりも重い罪ではないだろうか。文部科学省の仕打ちは常軌を逸しており、あまりにもひどすぎる。文部科学省の誹謗中傷によって、僕は日本には恐くていることができなくなり、生きていくことができなくなった。文部科学省が不当にも優遇し重用しているユング派は、精神異常者の集団である(「悪魔を元いたところに戻せ」 http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post_2.html )。アニマという“女性みたいなもの”を、一般的普遍的集合的な領域には存在しえない女性像とし、これと対話したり、恋愛の対象としたりもする。これは心理学的に危うい。心理学的に危ういとは、気が狂っているということである。あの気味の悪い酒井汀の“達磨さんのにらめっこ”を見たとき、そう感じた。これは何も酒井汀だけに限ったことではない。河合隼雄も氏原寛も小島勝も小島勝の夫人も、やはり酒井汀と同じように“達磨さんのにらめっこ”をするだろう。
 上述したように、日本には恐くて帰れそうもない。外国にいても、これはいわば逃亡生活だから楽しいわけがない。歌手や作曲家になりたかったのだが、長年の虐待によって生命力が萎んでしまったのだから、もう歌手にはなれそうもない。よぼよぼのじいさんが歌っても、誰が聴いてくれるだろうか。しかも、仮に歌手になったとしても、歌手としての実際の人気の度合い、どれだけの人が好んで聴いてくれているのかという数値を彼らは好き勝手に操作することができるのである。馬鹿馬鹿しくて歌手なんか、やってられない。作曲家になることについては、僕の才能(自分でいうのも少し変だが)を眠りにつかせた(「幻想の黒いオルフェ」 http://moriyamag.blogspot.my/2013/11/blog-post_2028.html )。やつらは、どうも創造の泉に関心があるようなのである。だから、人の創造の泉を覗き見し、盗み見しようとしている。そして、泉をいじってやろうとさえしている。これは、生体解剖と同じである。創造の泉は涸れてしまう。いじられた時点で既に、創造の泉は本来の働きを失っている。本来の創造の泉ではなくなってしまっているのだから、これを別人の創造の泉に適用して、その別人の創造の泉を活性化しようとしても、かえってその泉を駄目にするだけである。僕の創造の泉は、もう回復困難になっているかもしれない。
 何をしても、つまらない。海を見ても、夕焼けの空を見ても、美しさが感じられなくなった。音楽を聴いても、つまらなくなった。大好きなフォーレの曲も、長い間、聴く気になれなくなった。そして、することがなくなった。ただ一日を、ぼんやりと過ごすだけである。そして、いつ恐ろしいやつらが殺しにかかってくるかとおびえているだけである。これでは生きている意味がない。なぜ、ぐずぐずして罪悪を長びかせているのか。人の死の苦しみを長びかせて喜んでいるのか。早く狂ったユング派を、社会から隔離してほしい。

アニマは女性像ではないPARTⅤ」( http://gorom2.blogspot.my/2016/01/part_18.html )に書き加えがあります。背景色の箇所。